2017年04月10日

【ナマステ福岡への道 vol.11】在沖縄インド人宅でのランチ


ヒンドゥー寺院に月曜午前に集まったインド人たちは程なくして解散し、それぞれ自分たちの経営する店に行き仕事を開始する。とはいえ皆さん自営業かつ高齢で、また店も忙しくないので割とのんびりとしている。

キドワニさんにバジャンの後いろいろ話しを聞いていたらそろそろ寺院を閉める時間だという。まだまだ聞きたい事があるのに…というのを察知してくれたのか「続きは自宅に来てナシュタ(軽食)でもしながらしますか?」と言ってくれる。見ず知らずの外人のオジさんに対するこの温かい対応。皆さん日本語も堪能なのにあえてヒンディー語で通していたのが功を奏したのかもしれない…。



軽バンの後を付いて行って彼らのご自宅へ。5階建てのやや古いマンションで、玄関前にはカレーリーフとタマリンドが鉢植えされていた。アーンドラ料理にタマリンドの葉も使うという、こないだ知ったばかりの事を確認すると数枚千切ってくれ、じゃあ食べてみなさいという。食べてみたら特に酸味はなく葉っぱの味だった。





旦那さんとスィンディーについて、また沖縄のインドコミュニティについて、彼らのような旧世代とITエンジニアなどの新世代とのギャップなどについてetc 話題が尽きなかったが、そろそろ最も目当てにしていた家庭料理の準備が出来たようだ。





まず薄切り食パンの上に無造作にチャナーのカレーがかけられる。辛いのは大丈夫か?と聞かれるが程よい辛味。食パンを食べ終えるとライスはどうかとすすめられ、タッパーに保存しておいたカレラ(ゴーヤ)のサブジ、ダール、ミント・チャトニも出してくれ、さらにチャパティまで出してくれた。







こうした家庭料理は当然ながら全て美味く、こういう機会に恵まれただけでも沖縄に来た甲斐があったと感じさせられた。







周囲は道の至るところに半ば朽ちかけたバナナの木を目にする。
葉っぱだけでも欲しくなり、レンタカーを置いて思わず駆け寄ってみる。


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【ナマステ福岡への道 vol.10】沖縄ヒンドゥー寺院


到着翌朝、1985年に設立されたという沖縄ヒンドゥー寺院へ向かった。
毎週月曜はグル・グラントサーヒブなどスィク教グルへのバジャンを唱和している。実はこの月曜の集まりを見物するのが目当てでやや急いで沖縄inしたのだった。





ここに集まっているのは主に旧コザ市のゲート地区で衣料品販売しているスィンディー・パンジャビーの人々である。皆さんかなり高齢化している。バジャンの集まりは毎週あるが、年間に行われる行事で大きなものはディワリとスィンディー正月であるCheti Chandである。こうした時には料理も併設のキッチンで調理され出されるという。








 ↑撮影したバジャンの動画

現在の寺院が出来る以前の参拝や宗教儀礼はどうしていたかというと、有志4人で費用を出し合い1970年代は嘉手納の方で部屋を借りて祭壇を作ってそうした行事に当てていたという。

その後1985年にこのヒンドゥーマンディル(ヒンドゥー寺院)は、在沖縄スィンディーコミュニティー・メンバーやその他国内(横浜/神戸)のスィンディーコミュニティー、またインド各地のスィンディーコミュニティーからの寄付金などを募って設立された。元々は外国人向けの賃貸住宅であったものを買い取り、玄関の上に寺院らしくドームを施し、外装も北インドの寺院によくある肌色のペイントを施している。



集まっているスィンディー・パンジャビーという人たちは、多くは現在パキスタン領土内のハイデラバード出身である。信仰はスィク教を信仰していて、この日のバジャン(神様への献歌)もグル・ナーナクなどのスィク教の神に対するものだったが、あくまでヒンドゥーであり外見的にターバンや腕輪などスィク教徒を特徴付けるものは身に付けていない。

2002年に訪問した東京スィク寺院の様子
2015年に訪問した神戸スィク寺院の様子

彼らの多くは沖縄返還前に主に香港から渡って来た人たちである。最初から現在のような自営業ではなく、主に香港ベースのアパレル系企業が沖縄に支店を構えるのに伴い来日している。ちなみに当時の月給は35ドルだったらしい。それらのアパレル企業は撤退したり閉鎖したりするのに伴い店舗を構えて独立している。独立した時期は人によってまちまちだが沖縄返還後の70年代が多い。当時は対ドルレートも良く多くの従業員を雇っていたという。彼らの店の多くは旧コザ市のゲート地区に今もあるが、ここ数年はかなり景気が厳しいらしい。





集まっていた方々の名前を聞くとマノーハル・パンジャービーなどファミリー・ネームがパンジャビーという人がいる。パンジャーブ州の人にもそのような名前は無いのにスィンディーのスィク教信奉者がそのような家族名なのが興味深い。そしてまたスィク教信奉者でありながらヒンドゥー教徒でもあるらしい。こうした信仰の形態の人々に触れる機会が無かったので非常に新鮮だった。

彼らはまた来日当初の商売上、アメリカネームを持つ人が大半で、上記のマノーハル氏はマイク、シェーワク・キドワニ氏はサムといった具合だった。アメリカ人向けに呼びやすい名前にしないと仕事に差し障るらしい。


壁のインド地図を指し示しながら自らの出自などを丁寧に語ってくれたマノーハル氏

シェーワク氏の奥さんでバジャンの陣頭に立っていたラジャ二・キドワニさんのアメリカネームは無い。米兵相手のビジネス上のものだから専業主婦の妻にはアメリカネームは無い。



掲示板に貼られていた年間祭礼スケジュール

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2017年04月09日

【ナマステ福岡への道 vol.9】那覇市内のファミマでバングラデシュ青年との邂逅


胎動するネパール人社会を十二分に堪能した後、車を福岡空港の駐車場に預けて空路、人生初の沖縄へ。宿泊先はゲストハウスで門限ではこそないものの、23時迄には到着して欲しい由の連絡を受けていた。しかし空港に着陸したのが22時30分、そこから急いでタクシーで宿へ。タクシーの運ちゃんが月挑だと言ってるのにロクに調べもせず月挑庵という別の店に付けたのでイライラさせられる。夜だというのに半袖で充分な蒸した気候といいまるでこの雰囲気はヒンディー語こそ喋っていないが正に北インドである。

そんなこんなでたどり着いた宿の受付の人は拍子抜けする程穏やかな人柄で、沖縄初日から振り回された印象。とりあえず頭を冷やす必要を感じ冷えたお茶でも買おうと宿から一番近くのファミマへ。



そこに雑誌の整理をしていた色黒の若い男性が居て我慢できず思わず話しかけた。
『あなたはネパール人ですか?』

サビールさんというその男性はネパール人ではなくバングラデシュ人留学生で、沖縄には兄弟で住んでいるという。沖縄在住ネパール人は多いと聞くが、バングラデシュ人はどうかと聞くと、那覇市内に在住のバングラデシュ人は5〜6人ぐらいではないか。沖縄モスクに来るムスリムの中で多数派はパキスタン人だが正直なところまだ沖縄に来て日が浅いのでよく分からないという。



話題を変えて、イリシ・マーチやルイ・マーチ、チニグラ米のビリヤニ、ベイガン・バジャ、ボッタやバジなんかのバングラデシュ食材調達は困らないですか?と思いつく限りのバングラデシュ料理を並べて知ったかぶりして聞いてみると、スマイルホテル近くにネパール人の経営する食材店があり、そこでハラール食材が入手出来るとの事。沖縄滞在中ぜひその店も訪ねてみたいし、宿から一番近いコンビニなので再訪して彼と気心知れた仲になり、あわよくば夕飯に招いてくれないとも限らない事を夢想しつつコンビニを後にした。
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【ナマステ福岡への道 vol.8】バイシャキ・メラ福岡2017




福岡在住のネパール人コミュニティによるバイシャキ・メラ2017が福岡天神中央公園で開催。実はかなり早く福岡に向けて前乗りしたのはこれを見たかったからである(ちなみにナマステ福岡の開催は翌週の土日である)。急増する福岡ネパール・コミュニティの実態は実際去年(2016年)に初めて福岡に訪問した際に肌で感じ、その加速度ぶりに是非とも福岡再訪の必要性を感じていた。ナマステ福岡の出店話はまさにそんな事を考えていた矢先の事だったのである。ちなみに同じ週末の土曜がバイシャキで日曜がナマステ福岡だったのが何らかの事情があるらしく今年はそれぞれが別の週の開催となったという。



バイシャキ・メラは通常ネパール本国では大きな祭り(宗教的行事)ではなく、この日をメラ(=祭り)と呼称する習慣も実は無い。バイシャキ・メラはバングラデシュやインド側ベンガル地方などではベンガル暦に基づくベンガル正月=ポイラ・ボイシャキPahela Baishakh=ボイシャキ月第一日目は宗教の別なく盛大に祝われるが、ネパールではこの日は祝日となってはいても単に汎ネパール的に使用されているヴィクラム暦開始日というだけで大きな催しなどは見られない。むしろタマン族他の正月であるロサールタカリ族の正月であるトーレンラネワール族の正月であるMha Pujaなどそれぞれの民族が使用する個別の特有のカレンダーに基づく正月は盛大に祝われる。従って元々ベンガル系のイベントのバイシャキ・メラとして開始したものが急増する在福岡ネパール勢が圧倒的多数となりはしたもののイベント名称だけはベンガル系のバイシャキ・メラのまま続けていて、そうしたことにこだわらないネパール人の性格といったものもかいま見えて興味深い。









福岡在住の南アジア系情報通カタオカさんによる前日のバイシャキ・メラを報告したFB投稿に刺激され、朝7時過ぎには北九州を出てイベント会場に着いたのは朝9時頃。会場はガランとして誰も居ない。よくよく確認すると朝10時スタートだった。それで改めて10時に戻ったところで10時にはまだまだ準備中の店が多く、ようやくイベントが本格的に始まったのは12時を回ってからだった。


伝統舞踊のためにライ族の民族衣装を着た女性までいる




バイシャキ・メラ出店一覧

場内の総ブース数28、うち飲食ブースが18。
普段はインド料理中心のレストランも今日はネパール料理中心のメニューにしている。また福岡在住ネパール人の急増に伴い、箱崎を中心に本格的ネパール料理を出す店も去年〜今年にかけて増加し、こうした通常からネパール人を中心顧客とする店も多く出店し当然ながらネパールメニューを出している。


佐賀県鳥栖市で開店直前だというラリグラスも出店。店舗営業前であっても気楽に出店出来るユルさもまた福岡バイシャキの魅力。
福岡市内はかなりのネパール人飽和率だが県南部の久留米市や佐賀県の鳥栖市にも学生などが増えており、それに伴いレストランや食材店も増加傾向という。
ここでアジアハンターの食器営業した所、その後何度かオープン後も発注をいただいた。こうしたイベントは見物を兼ねて営業が出来るのでありがたくもある。





その他面白いところでは、福岡を中心とするネワール・コミュニティ(九州ネワ・コミッティー)とタムディン九州(九州在住のグルン族コミュニティ)が飲食店では無いにもかかわらず出店し、特に前者はカジャセットなどのネワール料理を出していた点。店舗の無い飲食店の出店に規制の厳しい東京のイベントと違ってゆるやかなのがいい。Tamudhi九州の人に聞くと、九州だけで約500人のグルン族がいるというのも驚きの数字である。





とりあえずバジェ・コ・セクワ・ハウスでセクワを食べる。カトマンズにある同名の有名ネワール料理店とは無関係。このように本国の有名店にあやかって店名を付けるパターンは少なくない(ナングロもそう)。この店も去年出来たばかりだという。社長はかなりのやり手で人材派遣ビジネスをしていて、福岡市内のコンビニや運送業や工場などにかなりのネパール人を派遣している。この手の企業はもはやネパール人労働者無しには成り立たなくなっているとまで社長は豪語する。一方、ネパール人労働者の側も賃上げ要求のためストなど行うケースもあるらしい。工場行きの工員バスの行き先表示には日本語の他ナーガリー文字で書かれているものもあるとカタオカさんから教えてもらった。


バジェ・コ・セクワ・ハウスのオーナー ハリ社長。
手広くビジネスを手掛けるにも関わらずこうしたイベントでは他の従業員の先頭に立って呼び込みの声を張り上げていた。


次いでソルマリのブースへ。酸味の強いムラコアチャールやセルロッティを売っている。
カビールさんタパさんなどの経営陣も東京から来ていて気合いを感じさせる。




東京から応援に来たカビール社長

ちなみにソルマリ福岡を手伝っている(当初は隣同士のブースにしていたが二日目にまとめて1ブースにしていた)のは福岡での業務提携者であるBambay Mart Fukuokaのポウデル氏だった。


ナングロ福岡店で販売のブタンभुटन が美味かった。ブタンだけ売っていたがライスにかけてもらって500円。







またロプテに入ったカジャセットも500円。ナングロはさすがに経営陣のサッチンさんは東京から来てなかったが、ラクシュマンさんというナングロ福岡の共同経営者でブッダの社長でもあるいかにもやり手そうな青年社長にもご挨拶。


ナングロ福岡 ラクシュマン社長

彼は今回のバイシャキ・メラのオルガナイザーの一人だという。このブッダのモモコバーロ(蒸し器)の形状が特徴的で、いかにもイベント映えするアイテムだった。




ナングロ福岡のカジャセット


ステージでは各民族の紹介やフォークダンス、歌などが繰り広げられ、鳴り物と共に場内練り歩きも行われた。急増・拡大する福岡ネパール人社会を象徴するかのような密度の濃いイベントで、この時期に福岡ネパール社会を生で実体験できた事は非常に有意義だった。また、なかなかここには書ききれない主催者側の裏事情も知ることが出来て短時間ながらも充実した福岡滞在が出来た。




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【ナマステ福岡への道 vol.7】北九州ギタンジャリ


広島の山奥で美味しいランチ・ターリーを食べた後、ディナーは北九州のギタンジャリで食べる予定にしていたので車を飛ばす。渋滞も無くほぼ予定通りの時刻に到着し、早速お店へ。



ギタンジャリは東京でスパイス活動をされている安松さんからのご紹介。初訪問だがオーナーの下野さんは去年のナマステインディアなどでもアジアハンターをご利用いただいていた。改めてご挨拶し、下野さんがお店を持つに至ったバイタリティーあふれる経緯や北九州に於けるインド料理事情といった話を興味深く伺った。メインのコックさんもインドやドバイで長年勤務したベテラン。



やがて北インド風のターリーが運ばれて来た。ネパール風骨つきのマトンはマトンがゴロゴロ入っていて美味い。





元々インド/アジア雑貨のお仕事をされていただけあって店内は所々アジア雑貨が散りばめられた可愛らしい内装。特にトイレの戸にशौचालयと書いているのが気に入った。







食後は店の横につけた車から商品を取り出して臨時の販売会をさせていただいた。こうして行商したり営業しながら道中進むことが出来るのもアジアハンターの特徴である。



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【ナマステ福岡への道 vol.6】広島県プラシャンティ


広島県の人里離れた山奥に半ば自給自足的な生活に身を置きながらインド料理を出している仙人のような人がやっているお店がある…という話は数年前に複数のカレー関係者から聞いていた。その手のうわさ話にありがちな、誇張や虚実入り混じっているのだろうが、首を捻りながらも好奇心を掻き立てられるお店ではあった。










そんな里山のインド料理店プラシャンティに初訪問。ナマステ福岡に出店するという機会でもない限りまず訪問する事は無かったので、やはり思い切ってナマステ福岡に出店申し込みをして良かったと改めて感じた。







山の細道をナビ通りに進むが周囲には店らしき店も無く、まさかこんな山奥に…と不安に感じたその時、店は忽然と現れた。店主ご夫妻に暖かく迎え入れてもらいあらかじめ予約しておいたシャンティ・ターリーを頂く。ちなみにこのシャンティ・ターリー他はオーダーするのに最低2名様からとなっている。従って今回カレー編集者の島田さんが同行してくれて本当に助かった。








丁寧に作られた、7〜80年代の古き良き『印度料理』や『印度カリー』といったテイストのターリー。よく考えたらこういうインド料理は久々に食べた気がする。自家製野菜をふんだんに使ったサラダ、チーズの入ったサモサ、カバブなどのタンドール料理、プラウンマサラ、キーマ、チキン・カレー、チャナー・マサラetcを堪能。尚、店主の辻さんは里山に来る前は福山市で20年ぐらい営業されていたという。








国産で発注した壺に、外部の耐熱用の囲いを自作し、タイルも自ら貼ったという可愛らしいタンドールも見せてもらった。見た目はいい感じに使い込まれていてインド的な風合いも醸し出している。こういう可愛らしいタンドールは客に見せるように設置するといいと感じた。








食後のチャイを飲んでいる時、こないだケーララのコチに長滞在して料理修行されて来たますやの相原さんが尾道からバイクでやって来てケーララの話を興味深く伺った。営業してたらますやさんにも立ち寄りたかったが、次回修行でパワーアップした料理を楽しみにしたい。
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2017年04月08日

【ナマステ福岡への道 vol.5】岡山インド家庭料理ミレンガ






インド家庭料理ミレンガさんもオープン時に食器などお世話になった店で前々から機会があれば訪問したいと思っていた店。ここを訪れた何人かの知人の方々が店内の様子などをFBにアップした際、食器が店内で料理用の提供用だけでなく棚に陳列して販売もされていることも知ってますます興味が湧いていた。







夜20時頃に入店。日本語堪能なホール担当のネパール人(ネワールの方)が案内してくれる。ちなみに昼に行ったパイシーパイスさんからは厨房にアーンドラ出身の女性がいると聞いていたが、彼女は夜の分の仕込みをしたのち夕方5時頃上がるという。夜は同じくインドのハイデラバード出身の学生アルバイト、なぜかウズベキスタン出身のアルバイトの人たちがそうしたカレーを温めて出したり、簡単な調理は彼らもするという。この内ハイデラバード出身の学生アルバイトはオープン当初から勤務していて、調理担当のアーンドラ出身女性は彼と一緒に店で働いていた仲間のお母さんらしい。しかしアーンドラ出身女性が厨房に入っている店などあまり聞いた事が無いので是非お会いしてみたかった。








店内にはムスリム用のお祈り部屋があったが特にオーナーさんがムスリムという訳ではないらしく、またお客さんの中に実際にここに入ってお祈りする人も居ないとの事なので実際的なものというより装飾的な目的なのかもしれない。インドのローカルな食堂を彷彿とさせる非常に味のある店内や棚の調理器具や食器などを眺めたりする内に綺麗に盛りつけられたターリーセットが到着。マトンカレーがやや油多めで美味しい。ダール、サブジー、ライタや小さなイドゥリも入っている。ターリー内のおかずやライスはそれぞれ量を増やしたり追加出来る。ライスとチャパティ100円を追加。チャパティは出来立ての美味しいのがガラス張りのタワ室で焼かれる。個性的なお店で面白かった。




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【ナマステ福岡への道 vol.4】岡山パイシーパイス


朝8時頃浜松を出て約4時間弱、京都も大阪も神戸も素通りし急ぎに急いでお昼過ぎに岡山到着。お昼に岡山にどうしても到着していなければならない重大な理由があった。



今年2月にオープンしたばかりのパイシーパイスさんには何度か食器の件でお世話になっていて、岡山に行ったら是非ご挨拶かたがた食事をしたいと思っていた。店主の奥様が綴られているブログも興味深く拝読し、旦那さんはケーララの出身である事やお店ではケーララのミールスを出しているとの事前情報に心躍らせていたが、営業時間がランチのみとのことで、これは何とか間に合わせなければと、それで急いだ次第である。

1階はカウンター、2階は畳の部屋になっている。少し遅い時間だったがカウンターはほぼ満席。一人2階に上がらせてもらった。





オーダーはスペシャル・ミールス。ココナッツの風味のチキン、サンバル・ラッサム・パリップなどケーララテイストが優しく美味い。 #ちなみにこのインド食器はアジアハンターでお求めいただけます





旦那さんのシャビさんはケーララのマラバール地方、マッラプラムの出身で家系的にアラビア系商人の末裔という、由緒ある家柄のご出身。特にマラバール地方のマッラプラムは古くからアラビアとの交易が盛んで、その際にもたらされたアラブ語(アラビ・マラーヤラムと呼ばれる)で記述された叙事詩や歌などが祭礼や婚礼の場で吟じられるが、こうしたアラビ・マラーヤラムを読める人自体が少ない。彼のお父さんはそれが読めるという。またモプラ料理(=マラバール料理)の話など興味深く伺い、カイマライスという、マラバールに於いてビリヤニのみに使う米で作ったビリヤニ・イベントも行いたいという。近ければ是非はせ参じるのだが…



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2017年04月07日

【ナマステ福岡への道 vol.3】静岡大タミル人留学生宅でミールスとファルーダ

浜松に立ち寄ったならば、えりカレーとして幅広くスパイス活動されているスパイス系重要人物・菅沼えりさんを素通りする訳にはいかない。最近えりさんは静岡大学の南インド留学生複数とイベントを通じて親しくなり濃密に交流しているらしい。そしてアジアハンターの浜松行きにあわせて彼らの自宅で南インド家庭料理ディナーパーティーを企画してくれることになった。



ディナーパーティーは約10人ほどの南インド人が大学近くに居住する南インド人のアパートの一室に集結してスタートした。アーンドラ州グントゥール出身のJeevanさんご夫婦を除き全てタミル人男女という構成。しかも中にはモハメッドさんというタミルナードゥ州South Arcot出身のムスリムも一人いて人員バランスが実に良い。挨拶かたがたモハメッドさんと話していると同地はビリヤニも有名でイカも食べるという。そんなSouth Arcotの話を聞いているとどうしても実際に行きたくなってきて仕方なくなる。









調理段階から家庭に入れさせてもらい皆さんと歓談しながらインド料理情報を聞き食べるという、最も理想的なディナーパーティーだった。特にアーンドラ出身のJeevanさんご夫婦には料理が出来るまでの長い間延々とカキナダやラヤラシーマといった湾岸〜南アーンドラの料理についてレクチャーしていただき、去年のアーンドラ食旅でのいろんな疑問が払拭した。







事前の料理打ち合わせで何か料理リクエストがあるか聞かれたので、こうした場合ベジ料理に集中しがちなのに一抹の不安を感じてコーラウルンダイ Kola urundai(マトン揚げ団子)をリクエストしていた。そしてこういう時のためと思い懐にしまい込んでしたバナナの葉風・紙皿をおもむろに取り出し敷き詰める。その上に、以下の料理が並べられていった。 #するとどうだろう劇場







【この日準備されたメニュー】
パニヤラムpaniyaram
コーラウルンダイ Kola urundai(マトン揚げ団子)
プラウン・ビリヤニ
白ライス
ダール
タイル・パチャディ
メドゥワダ(えりさん作)
ココナッツチャトニ
ペラサットゥ(アーンドラの方作)
チキン65
フィッシュ・フライ











圧巻はタミル出身のTariniさんの作った食後のファルーダ。これもえりさんがダメ元でリクエストしてくれたもので、作るのが初めてと謙遜していたが、今まで日本で食べたファルーダの中で一番オリジナルに忠実だった(うどんは論外として 笑)。緑色に着色されたバミセリがいい色合いのアクセントになっていて素晴らしかった。えりさん、お集まりの皆さんには大感謝の夜だった。




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2017年04月06日

【ナマステ福岡への道 vol.2】浜松モスクでインドネシア自炊ランチ

福岡までの道はあまりに遠い。とりあえず3時間ほど車を走らせ浜松に一泊することにした。浜松ではえりカレーとして熱心なカレー活動を続ける菅沼えりさんから魅惑的な招待も受けている。毎回神戸で開催されるインディア・メーラーに出店する際浜松に立ち寄っているが、いつも趣向を凝らしたインド料理やイント的イベントなど企画してくれるので楽しみで仕方ない。

2016年の浜松での楽しい思い出
【関西インド紀行vol.1】浜松えりカレー野外宴 
【関西インド紀行vol.2】浜松Al-Rehman及び浜松モスク

2015年の浜松での楽しい思い出
浜松えりカレーさん

浜松に到着したのが14時過ぎ。お腹が減っていたのでランチは去年も訪問したAl-Rehmanで食べようと思い、確認のため到着前に何度か電話したが着信は鳴るものの誰も出ない。一抹の不安に駆られつつ、近くの浜松モスク(Mohammadi Mosque)の駐車場に車を停めて直接お店に行こうと車を降りると、そこにたまたま一台の車が駐車場にやってきた。





降りてきたのはこれからナマーズをすると思しきパキスタン人男性。これからAl-Rehmanで食べようと思ってるんですよ、と言うと「今、あそこの店主はパキスタンに里帰りしてて、代わりの人が来るけど基本的にお店がオープンするのは午後5時からだよ」と教えてくれた。そんな予想はしていたがAl-Rehmanで昼食のアテが外れた…

とりあえずモスクの中で次の手を打とうと入っていくと、ブルーシートを広げた一団がたった今食事を終えた感じで佇んでいる。挨拶もそこそこに思わず彼らの皿の中を凝視すると、中の一人が「食べますか?」と優しく微笑みながら言う。その言葉を待っていたがあくまで「ええっ、いいんですか?」と意外そうな感じを演出(笑)。それにしてもどこの馬の骨とも分からぬ初対面のオッさんに昼メシを提供してくれようとは…。ムスリムの慈悲深さを改めて実感。





この一団は40日の予定で日本を観光しているシンガポール国籍の方々。福岡から浜松まで各地のモスクに宿泊しながら旅を続け、明後日帰国するという。出していただいたのは生姜の効いた野菜スープとライス、ソーセージ炒めと魚のフライ、インドネシアの辛いジャムのようなもの。シンガポールの話題で何か喋ろうと思ったが、ムスタファやリトルインディア以外ほとんど知らない事を改めて認識した。









その後入れ替わり立ち替わり何人かのムスリムの方々が出入り。そのうちバングラデシュ出身の方が浜松市内のパキスタン人経営のレストランを事細かに道順含めて教えてくれた。(その後FBのコメント欄でSasakiさんからAl-Rehman、カレーやさん、ニュータンドール以外に、サリマ、カシミールというパキスタン人オーナー店があるという情報もいただく)やはり浜松は奥深い…。







旅の初日にしてあたたかい人情に触れ合うことが出来、旅の良さを改めて実感した浜松の昼だった。
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2017年04月05日

【ナマステ福岡への道 vol.1】プロローグ

それは去年(2016年)のナマステインディアでの事だった。
一人のインド人青年がアジアハンターのブースに現れて、流暢な日本語でナマステ福岡というイベントを去年はじめて福岡で開催した由を語ってくれた。ナマステ福岡の名前は既にカタオカさん他、福岡在住の南アジア情報に精通された方々からその名は聞いていて、その出店に関しても思う所があったのだが、まさか主催者の方からコンタクトしていただくとは。ちなみにそのインド人青年がナマステ福岡主催者のジャイクマールさんであった。

数年前から都内の目端の利く一部のネパール人経営者たちの口からこぞって『福岡』の二文字は聞いてはいた。一体首都圏にインドレストランを経営する彼らがなぜ遠く離れた福岡に着目しているのか前々から気にはなっていたが、その様子を初めて去年(2016年)の9月に目の当たりにすることが出来た。

2016年福岡での文化賞受賞のためインドの映画音楽監督/作曲家のA.R.ラフマーンが来福。たまたまこの授賞式典の公募に申し込んでいたら席を確保出来た。ラフマーンは90年代から数限りなく見てきたボリウッド映画で耳なじみの高いボリウッド界随一の音楽家で、当然こちらの授与式/ミニライブにも関心はあったものの、それと共に前々から関心のあった福岡ネパール系の実態を確認すること、むしろそれが主目的だったと言っても過言ではなかった。

この当時まだナングロの福岡支店は完成してしなかったがソルマリの支店は稼働していた。他にも在福岡ネパール人留学生たちのたまり場であるブッダや在福岡ネパール人が主に居住している箱崎周辺のネパール食材屋を訪問し、胎動する原初のネパール・コミュニティの確かな存在を確認した。

【福岡インド紀行vol.5】大橋ソルマリ 
【福岡インド紀行vol.6】ブッダ 
【福岡インド紀行vol.3】東区箱崎周辺のネパール系食材店 

とは言え揺籃期〜勃興期に至る福岡に於けるネパール・コミュニティの様子は再度、目撃する必要を強く感じていた。正にその矢先に降ってわいた「ナマステ福岡・出店話」。2016年に目撃した時と翌年のナマ福開催までの間にどのような展開・変化が福岡ネパールシーンに生じているかも気になる所。またイベント出店となると車での移動となるが、むしろそれを利用して西日本各所のインド料理屋さんを回る事も出来る。そうした訳で一も二もなく出店話に飛びついたのだった。

ナマステ福岡が開催されるのは2017年4月15日と16日。去年開催されたナマステ福岡は土曜がネパール人を中心としたバイサキ・メラで日曜がナマステ福岡だったが今年からは何らかの事情で週を別にして一週間前の4月8日9日がバイサキ・メラだという。どうせ福岡に行くのならばこれにあわせて行きたい。そしてまた車で一気に福岡まで行くのは体力面・気力面で一抹の不安があるので犀の角のようにのんびりと、途中の街に立ち寄りカレーを食べながら道中進んで行こうと道中のプランを練った。そして春うららかな陽気のこの日、正に旅立ちにふさわしい曇り空の中、ハイエースにいっぱい商品を詰め込んでボチボチ出発することとした。

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2016年12月26日

【カリカト】Paragonでmeen pollichathu、Sagarでファルーダ


昼は超人気店Paragonへ。同店のサイトを見ると、カリカトとコーチンの他にドバイに2店も支店がある。









ここではフィッシュカレー・ミールスミーン・ポリチャットゥmeen pollichathu(魚のバナナ包み蒸し)、クーンタル・フライ(イカのフライ)。








ケーララを代表する魚料理ミーン・ポリチャットゥは是非とも現地で食べてみたかった料理の筆頭。バナナの葉で魚を包むインド料理はベンガルにもMaccher Paturiというマスタードを利かせたバナナの葉堤焼きがあるが、素材(ベンガルではイリシ=ヒルサが使われるがケーララではポーンフレートが好まれる)も使うスパイスも当然違う。






凄い人だかりだが行列は作らず、それぞれ空きそうな(食事が終わりそうな)客の横に立って食事が終わるのを待つスタイル。横で立たれながら食べるのはちょっと気になるが、それすらも忘れさせる美味。ちなみに、相席になった対面の女の子がなかなかの美少女だった。



出された水(というかかなり熱めのお湯)がピンク色で、一般的にアーユルヴェーダ・ウォーターと呼ばれるもの。Pathimugamという樹の皮を煮出したもので、様々なアーユルヴェーデックな薬効もあるという。以前浅草サウスパークで出されたものを思い出した。



食後は例によって厨房探訪。







カリカトの街は海沿いの街特有の解放感がある。
至るところにティファンの屋台・露天などが店を構えているのを冷やかしつつの街歩きが楽しい。


Puttukutti プットゥ蒸し器。
繁盛店だと10蓮ぐらいのPuttukuttiを店頭に出して半ばデモンストレーションしている。






屋台などでは小ぶりのタッティリ・クッティー・ドーサ Tatiri kutti dosaを焼いている店が多い。




カリカト最後のディナーはディナーはこちらも名店のSagarで(クリーム入り)トマトスープ、チキン・ビリヤニ、揚げたポーンフリート、ファルーダ









マラバールはビリヤニが本当に美味くプットゥとかイディヤッパンとかケーララ特有のものも食べようと思いながらもどうしてもビリヤニばかり食べてしまうのは致し方ない事である。

ちなみにファルーダの中に入っている麺状のものはここでもバミセリだった。

帰国後に読んだ『Technology of SWEETS(MITHAI) with Formulae』--EIRI Board of Consultants & Engineers著--によると、その起源はペルシア/パルシーのNawroze(「新年」または「新しい日」を意味する)という祭りに出される乳製品がベースの冷えた菓子で、インドに伝承されて以降は特に夏の冷えた菓子としてイスラム系の王朝下のデリー、ラクノウ、ハイデラバード、またパルシー教徒の多いムンバイで特に人気を博したという。材料はコーンフラワー(トウモロコシ粉)で出来たヴァミセリがミルクベースの液体の中に入っている。サフランやローズシロップなどで色づけされたり、クルフィーやアイスクリームがはいている事もある、と定義されている。



これで食の宝庫マラバール地方とも本日でお別れ。翌日からはコーチンに向かう。

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2016年12月25日

【カリカト】老舗Rahmath Hotelでマトン・シチューとアッパムとクディナラヤ・ジュース




タリセリーから二等座席列車でKozhikode(旧名カリカト)へ。

カリカトはカンヌールやタリセリーよりも街の規模が大きい。早速散策に出かける。そしてケーララ特有ののスイーツがショーウインドーに入っているのにいつものように足が止まる。









ヴァッタラvatara 左 外皮は米、餡はココナッツベースの強烈な甘さ。
エラダallda 右 セミヤとバナナとココナッツなどのバナナ葉包み蒸し。ヴァッタラ程の甘さは無い。

ブロック状のケーララ・ハルワココナッツクランチ。この巨大なハルワが店のガラスケースでプルプル揺れているとどうしても気になり、写真など撮らせてもらっていると端っこを切って味見をすすめてくれるので、つい食べてしまう。












カリカトの野菜市場。
一人写真を撮ると、それを見ていた他のおじさんも俺も撮れ俺も撮れがはじまり、シカトしても勝手にポーズを取って撮られるのを待っているのでキリがなくなる。
































夜は事前情報通り宿泊先近くに飲み屋を見つけた。カンヌールやタリセリーはイスラム的規範が強い街だからなのか、もしくは州政府が今後10年以内に州内でのアルコール類販売を禁じる禁酒州へとなることへの布石なのか全くと言っていいほど飲み屋が見つけられなかった。たかが数日だが久しぶり酒が飲めることがうれしい。イカ(koonthal)のフライ(65のような料理)をアテにして待望のビール。






ディナーは1961年創業の老舗Rahmath Hotelでマトン・シチュー(ケーララのシチューはイシチューishtuという表記がされる。ココナッツミルクがベースの白いシチューである)とアッパム。アッパムがモチモチして美味い。シチューはさすがマラバール、カルダモンやブラックペッパーがたくさん入っている。本当はビーフ・ビリヤニも行きたかったが満腹になり断念。代わりに周りの客が皆オーダーしているジョッキに入った緑色の液体をオーダー。クディナラヤ(ミントライム)のジュースで甘くて爽やかな味わい。









ホール長の兄ちゃんが気さくで、食後まとわりつくようにいろいろ話しかけてこられ、厨房も見ろ見ろと案内してくれた。ドーサイ用の鉄板含めて火力には主に炭を使っている。

















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2016年12月24日

【タリセリー】朝食のアリカドゥカ/夕食のカルマッカヤ(ムール貝)のフライ







マラバールではムール貝はカルマッカヤkall-ma-kayaと呼ばれる名物で市場でも見かける。とはいえ市場から飲食店への供給時間の関係上なのか、レストランでムール貝が食べられる時間は大体決まっていて、12時〜18時辺りまでらしい。ただしアリカドゥカというムール貝が入ったパンのようなスナックは軽食屋で前日から作り置きされているのか朝に食べることが出来る(朝に食べられるからと言って必ずしも出来立てではない)。この日の朝はそれを食べ、更にチーピーというバナナの葉で包んで蒸された和菓子を彷彿とさせる甘い菓子も食べた。


朝食のアリカドゥカ






ケーララの軽食屋は店頭に小さなガラスケースを置き、そこにスナック・軽食をディスプレイしている店が多い。指差せばオーダー出来るので言葉が出来なくても問題無い。

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その後昨日チキン・ビリヤニに幻惑された名店Raraavi'sへ。店員に聞くとやはりムール貝は12時以降提供するので朝の時間は置いてないという。仕方なくパロータとフィッシュカレーとオムレツの朝食。これがシンガポールのインド人街で食べたロティチャナイそのまんまの味。〆の甘いコーヒーまでシンガポールを彷彿とさせるものだった。もしかしたらシンガポールやマレーシアのインド人街で食べるムスリム系軽食の源流の一つはこの辺りなのではないだろうか?



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夕方、ムール貝(カルマッカヤ)を食べに三たびRaraavisへ。
ここには短い滞在期間の中3度も来ているのに厨房も見せてくれないし、マネージャーも全く愛想が無い。しかし美味いので仕方なく通ってしまう。美味い店というのはそういうものなのかもしれない。



トマトスープにはクリーム入りとクリーム無しがある事が分かり、なら早く教えてよ、じゃあそのクリーム入りで、とオーダーしたが今クリームは無いという。こういう点がインドらしい…。とはいえトマトスープは美味い。




そしてようやく目的のカルマッカヤのフライ。ローストだったりグレービーがかかっている料理かと思いきやチキン65のようにスパイスをまぶして揚げた料理だった。付け合わせのレモンがよく合い、一緒にオーダーしたチキン・ビリヤニのライスに非常に合う。大変幻惑された。





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ディナーはタライセリーのメイン通りにあるModernという味のある大衆食堂へ。







テーブルの配置が面白い。やはりここでも何も言わずとも自動的にフィッシュカレー・ミールスがサーブされる。ケーララのライスにフィッシュカレーのグレービーとサンバルがかけられ、パパルが載せられ、魚のフライが回ってくる。





ちなみに後でFBに掲載した写真を見たおさしみさんからご指摘いただいたが、たまたま店内を写した写真の中にサンバルを片手で受けて直で飲んでいる人の姿(画面左)があった。撮っているときは全く気付かなかったが、このような習慣があるのだろうか。面白い。





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2016年12月23日

【タリセリー】Raraavi'sでマラバール・チキン・ビリヤニ








ケーララ州カンヌールKannurからローカルバスで約一時間の道のりのタリセリーThalasseryに到着。街の規模としてはカンヌールよりこじんまりとした印象。

この街には新大久保ナスコのユーサフに教えてもらったメモを頼りに元ナスコ勤務のサミールを勤務先のバスターミナル併設の食堂に訪ね、彼に案内してもらってホテルも教えてもらった。この街はナスコ社長や従業員たちの出身地である。


案内してくれた新大久保の元ナスコ勤務のサミール。機会があればまた日本で働きたいという。


サミールが勤務しているバスターミナル併設の食堂。割と繁盛している。

ちなみにケーララの民営バスは一台一台それぞれ意匠を凝らした、あたかもクリームのクラプトンのギターみたいなサイケペイントされているのが非常に面白い。















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タリセリーでの初ランチはケーララ州内に3店舗展開している老舗Raraavi'sチキン・ビリヤニ。事前情報ではマラバールのビリヤニは別名タリセリー・ビリヤニと呼ばれ、ここの地名が冠せられているビリヤニの有名な街でもあるので一度はこの地のビリヤニを味わってみたかった。まずは濃厚なトマトスープからスタート。





バスマティではなく、バングラデシュのチニグラ米に似た味と食感の小粒のカイマライス Kaima Rice/Jeerakasalaで作られるビリヤニが皿に固く盛られて出てくる。マラバールに於けるビリヤニライスとはこの種の米を言うらしい。バスマティは使わない。甘みも感じさせ、内部に入っているチキンとの相性も素晴らしかった。ラクノウ、ハイデラバードなどのビリヤニとはまた全く違う味わいでインドの広さを感じさせる。


マラバールのビリヤニはスプーンが横に刺さってサーブされるのが特徴



〆はタリセリー・ファルーダと呼ばれるこの地方の名物のスペシャル・ファルーダ。さすがスペシャルだけあって美味い。

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