2017年06月06日

【富山への道 vol.1 Mahandi Halal Food】


富山在住のイシイさんが企画してくれたマサラワーラーの食べさせられ放題イベントにアジアハンターも食器の出店をさせていただく事になった。せっかく新緑のまばゆい富山まで陸路で行こうというのだから単に単純往復するだげではもったいない。イベントは週末だが少し早めに東京を出て、いつも通りゆったり下道を走りながら寄り道をしていくことにした。

とりあえず最初の目的地・長野県上田市に到着。ここにはBilal Masjidというモスクがある。
先日の西葛西ムサッラーに居たイマームはかつてこの長野のモスクに在籍していたというのでラマダンのこの時期に訪問してみようと思った次第である。ただしマグリブの礼拝時間まで少しあったので、ホテルに荷物を置いた後、上田市のハラール食材店Mahandi Halal Food訪問してみた。





いつものようにこうした店では男性店員が店番している事が多いが「いらっしゃいませ〜」と出てきたのは滞日8年、インドネシア・スマトラ出身のレラさんという日本語堪能な女性だった。



聞くと旦那さんはバングラデシュの方で、共に上田市の専門学校時代に知り合い結婚したという。バングラデシュ人とインドネシア人が日本で出会って結婚し、奥には小学生ぐらいの子供もいた。







旦那さんはインドネシア料理を食べないのでバングラデシュ料理を作っているという。何となくその辺がバングラデシュ男性らしいが、何でもインドネシア料理が辛くて口に合わないらしい。ベンガル料理で辛さ耐性がありそうなのに面白い。ちなみに夫婦間の会話は日本語で行っているという。このインドネシア人の奥さんが作る家庭のベンガル味、是非とも食べてみたかったし、このようなマニアックなコンセプトで都内で店を開けばそれなりの需要があるのではと感じられた。
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2017年06月04日

西葛西ムサッラー訪問


西葛西のケータリング専門ハイデラバーディ料理店The Taste of Hyderabad。オクヤマさんに代わりに受け取ってもらったハイデラバーディ・ハリーム(ハイデラバードのラマダン名物)と滋味深いハイデラバーディ・ビリヤニ、そしてデザートにシェルクルマ/sheer khurma(イラン・パキスタン・インドのムスリムの間でイードなどの際に食べられるバミセリとミルク、デーツの入ったお菓子)。日本でもリアルな家庭のハイデラバーディ・テイストを体感出来る場はそう多くはない。早速西葛西の最寄りの公園で実食。



ちなみにこの日はたまたま別の公園でのBBQのために持参していたインド食器を大量に持っていたためそれに盛り付け。そのまんまのプラ容器よりはるかに絵になるのは間違いない。



絶品のハリーム(具はチキン)などThe taste of Hyderabadのハイデラバーディ料理に舌鼓を打った後は、話で聞いていた西葛西のとあるマンションの一室にあるムサッラー(ムサッラー=マスジドよりも簡易的な、一時的礼拝所)へ。



扉を開けるとHifzurrehman氏というパキスタン出身のイマームが読経を行っている真っ最中だった。しばらく読経が終わるのを待つと礼拝参加者の方々から何者だ?みたいな不審な眼を一斉に向けられる。



すかさずヒンディー語で事情説明すると集まっていた方々は誤解が解けたようで、早速イフタールを勧められる。集まっていた方々は皆西葛西在住インド人IT技術者で、それぞれUP、オリッサ、MPのご出身。中に以前アジアハンターを通販でご利用いただいたインド人も居て驚く。北関東など半ばイフタール目当てにマスジドを訪問する事も多々あるが、そうした場に集まっているのは大半がパキスタン系の中古車関連業の方々で、こうしたインド出身のエンジニアのムスリムの方たちと交流する機会は少なく貴重である。







壁にはイフタール食事当番の名簿があるように、その日の担当が自宅で奥さんに料理してもらって持ち込むスタイル。今日はダブルチャビー・バスマティという、わざわざUP州から持参した米で作ったビリヤニ(有名なムラダバーディ・ビリヤニ風?)がラクナウのビリヤニにも似た味わいで満腹であるにもかかわらず美味しかった。





ちなみにイマームは昨年は長野県上田市サカキ町のマスジドで勤務していたそうで、来週の長野行きの際には是非立ち寄りたいと思った。今後西葛西周辺ムスリムが共同出資し西葛西にもマスジドを建設したいらしい。



いずれにしても当初まるで公安でも見るかのようなまなざしがヒンディー語で会話したとたんに相好が崩れささイフタールを…という展開になるのだから、やはり苦労してヒンディー語を身に付けて良かったと改めて思った。
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2017年05月30日

常総市 Markaz Muhammad Alay Muhammad モスクのイフタール


先日イランレストランJAVANに行った際にシーア派ムスリムの事を教えてもらい気になって調べたら常総市と三郷市に国内二つのシーア派マスジドがある事が分かった。その内の一つである常総市のMarkaz Muhammad Alay Muhammad モスク(マーフレストラン併設)を訪問。たなびくアラム(旗)alam ghazi abbasが荘厳な雰囲気を醸し出す。



時間的に日没ギリギリに到着したが、シーア派のイフタールはスンニー派より10分遅れて始まるという。ごく僅か軽くお祈りした後にイフタールを食べ、その後お祈りになる。シーア派だからと言って特に特別なイフタールという訳ではなく、デーツで始まった後カットした果物、パコーラ、チャナーのサラダ、ダヒ・キ・パコーレなどを食べる。





実はシーア派とスンニ派で何か異なったイフタールを食べるのかが気になっていたのだが、特にそのような事はなく他のマスジドなどで見られるようなごく一般的なパキスタン人のイフタールだった。むしろ宗派による差よりも国別の差の方が大きいようである。





イマームはデリーから招聘した方。パキスタンからの招聘はビザその他の問題で難しいらしい。読経のアラビックは分からないが、時々見学させてもらうスンニ派の参拝方法とは明らかに異なる手順。











このように読経の途中途中で皆立ち上がり、互いを祝福するようなハグなどをする。
これが読経中3回ほどあった。





その後は併設のマーフでマトン・マサラ。昨日のペシャワリ・マトンが美味かったのでマサラ少なめにと言ったのが裏目に出た。コックのアフメドさんはパキスタン最奥地スカルドゥ出身なので出来れば地元の味で作ってくれれば良かったのだが…

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2017年05月28日

野田Handiでのイフタール




記念すべき2017年のイフタール初日はFBFのOdaさんからお誘いいただき野田Handiで迎えた。
Handiのイフタールの凄さは既に何度も体感済みだが何度来ても凄い。





訪問時はちょうどマグリブの時間で店前にゴザが敷かれて熱心なパキスタン系の方々がメッカに向かってお祈りされていた。


食べ始めのデーツや複数の揚げ物(サモサやパコーラ。パキスタンなど南アジアのイフタールの定番)、ローズシロップ入りミルクなどからスタート。











次いでパキスタン中華のホットサワースープ(一緒に出されたソヤソース、グリーンチリ入りの酢、
トマトソースの三点セットが入った薬味入れがもの凄い現地感を醸し出す)
シークカバブ
マトン・ペシャワリー・カライ(スパイスを極力使わない塩ベースのペシャワールスタイルの煮込み)
パラク・ゴーシュト(マトンほうれん草)
カレラ・キーマ(ゴーヤと羊挽肉)
フィッシュビリヤニ(パンジャブ風の白身魚入り)
マトン・マサラ
アルゴビ
タンドーリーロティ
ナン
バスマティライス
キール
グラーブジャムーン
チャイ









社長は去年同様、坂東モスクなど周辺の複数のマスジドにイフタール用の無料料理を精力的に配達しているので会の終わりに少しだけ話しが出来た。山羊の金玉を使うタカタクとか内臓料理の話しを振ったらあんまりそういう料理は得意じゃないらしい。











調整いただいた幹事のodaさん、ご同席の皆さんありがとうございました。
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2017年05月26日

イランレストランJavan


ディナーは豊島区上池袋のイランレストランJavanへ。
イランの料理は北インド料理のある種の源流の一つでもあるのでそうした共通点を発見するのも楽しい。







ゲイメ・ネサー(ガズヴィンGhazvinという街の名物料理で婚礼などの祝膳。ポロより更にゴージャスで真ん中にやや甘く煮込まれたマトン=グズバーンが置かれ、ピスタチオとザクロがふりかけられている)
ミルザ・ガセミ(ナス、トマト、卵、肉の煮込み)
ドゥーグ(塩ヨーグルト飲料)
サラダとパン(サルビス)








ホール担当の娘のガザレさんは日本語堪能、調理担当はお母さん。








明日からラマダンだがお店は通常営業。イランのラマダンに於けるイフタールはデーツ、パン、チーズ、アッシュ・レシテ(スープ系の料理)などの他ハリームも食べられる。こうしたところにインドのハイデラバードとの共通性を感じる。以前千葉のイランレストラン・サダフの食料品売り場で購入したハリームの缶詰には別添でザラメ砂糖の袋が付いていて疑問に思っていたが、ガザレさんに聞くとイランのハリームは基本的に小麦と七面鳥を長時間煮込み、砂糖で味付けしてパンと共に朝食煮込み食べられる。ラマダン時期以外でも食べられる場合があるが調理時間がかかるので頻繁には作られない。


ちなみにメニューにあるモルグはチキンだが雌鶏で、雄鶏はクルスという。肉質の柔らかい雌鶏は雄鶏に比べ価格が高い。ちなみにヒンディー語ではムルギー、ベンガル語ではモロクという。またイランではごはんの中に埋もれるようにして鶏肉が入ってサーブされることが多いが、これは鶏肉が冷めないようにするためらしい。インドのビリヤニも肉を米で埋もれるようにして盛り付けられる。語感やサーブの仕方が似てたり共通するのが興味深い。山羊(グズバーン)も同様に肉質の柔らかいメスの方がオスより高い。またイランでも去勢山羊も食べられるという(オス山羊はにおいがキツくて好まれない)。


ちなみにイランはファルーダ発祥の地で、現在も広く親しまれている。イラーニー・ファルーダの麺部分を作るのが難しいので日本では提供不可能だが、数人集めればイラン・ハリームなどの料理は特注可能だという。


元々名古屋で9年経営後、昨年末に東京に移転したそうで、2Fの食材店も品揃えはまだまだだがイラン食材も見ているだけで面白い。
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2017年05月24日

八潮カラチの空でラホール料理話

鹿野さんにお誘いいただき八潮カラチの空へ。スタッフの藪さんありがとうございました。
マトンとカブ(シャルガム)のカレー、トマトベースなヘルシーニハリ、フィッシュカレー、サルビスのハリーム、アルパラータ、メティ入りロッティ、ハルワetc。こちらで修行されてる藪さんの作ったタンドーリー・ロッティもいただく。料理が美味いのはもちろんの事だが食後のJaved社長の話が興味深過ぎる。







ラホールの朝外食はパヤやニハリの他に、ハルワ・プーリーを食べることが多いが、ハルワと共にアチャールも付け合わせに食べるという。このプーリーはそれなりの大きさの鍋で揚げないと美味しく出来ないので八潮で再現するのはなかなか難しいらしい。






ナーンやクルチャは(日本でパンはパン屋から買うのと同様)パキスタンでも専門業者から購入する。ナーンは普通の(サダー)なものもあり、またキーマやジャガイモが中に入ったものもある(チーズ入りは無い)。






クルチャはペラー/पेड़ा=《成形して焼く前の状態の生地》を伸ばし、タパー/ठप्पा=《ナーン用のスタンプ》でポツポツと穴を開け、ゴマなどを表面にふりかけて作る。また、खमीरी रोटी カミーリー・ロッティという発酵ロッティも専門業者で販売される。前夜からイーストで発酵させた生地を焼いたロッティで、これが発酵に伴いプツプツと生地に泡が立ち上がってきて見た目は社長的には不潔に見えるらしいが非常に美味いという(カミーリー/खमीरीは「発酵した」というペルシア起源の形容詞)。


ナーン専門業者の使うタンドールはパキスタン国内で差があり、パシュトゥーン方面のタンドールは半分土中に埋まったもの、パンジャブのタンドールは土に埋めず外部に出している。ナーン専門業者はパシュトゥーン人が多く、パシュトゥーン人の作るナーンは美味しいとされる。ただし料理はチリやマサラが少なく他地域のパキスタン人にとりパシュトゥーン料理は味気ないものに感じられる。ラホールにあるナマク・マンディというレストランではパシュトゥーンの美味しい料理で有名。


このようにナーンがパキスタンで重用されるが、白いごはんはそのまま食べられる事はなく、インドで日常食の代名詞のように言われるダル・チャワル(水分の多いダルと白ライス)は社長のイメージだと刑務所の食事のイメージらしい。インド人従業員が普段食べる食事を見てもそのように見えるらしい。基本的に家庭で食べる時もビリヤニやプラオ、少なくともマタル(グリーンピース)などを入れるなどして極力白い状態のライスは避ける。



一般にカラチ料理は辛くラホール料理はややマイルドだとされる。パキスタンのミックス香辛料メーカーのShanの本社はカラチにあり、AhmedとNationalはラホールに本社がある。従って、同じガラムマサラでもShanの方が辛くAhmedとNationalはマイルドだという。



近くラマダンだが、八潮カラチではイフタール料理が非常に充実しているとの事なのでまたすぐ来なければ…



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2017年05月21日

赤羽ベティクロム食事会





この日は赤羽ベティクロム食事会。前もってホック社長と打ち合わせした以上のサルビス感いっぱいの本格的バングラデシュ料理の饗宴だった。以下メニュー。

@フリーソフトドリンク(お店お任せ)

Aパンタ・バート panta bhat
4月のバングラデシュの新年=ポイラ・ボイシャキの際に食べられるごはん料理。pantaは「水をかけた」bhatは「ライス」でいわゆる水かけごはん。非フォーマルなパンタ・バートは単にライスに水をかけ青唐辛子だけで食べられる、ダルすら食べることが困難な貧農地帯などで日常的なものであるが、ポイラ・ボイシャキの際に都市部で食べられるのパンタ・バートは今日のような、ナス、ジャガイモ、インゲンの3種のボッタとイリシ(英名Hilsa/バングラデシュでの最高級魚)のフライといった豪勢な祝膳である。ホック社長から、米の質感的にタイ米が近いとの事でそのようにしてもらった。基本的に軽く塩を振って食べるのがバングラデシュでの食べ方。




パンタ・バートは具とライスが別々にサーブされたが最終的にはご飯の上に載せて食べられる。


Bモロクプラオ(最高級米のチニグラ米で炊き込んだバングラデシュスタイルのチキン・プラオ)
ベンガルでは雄鶏をモロク、雌鶏をモロギと呼び雄鶏の方が美味しく価格も高い。同様に山羊も雄雌の区分けをし、更には去勢山羊をカシと呼びそれが最も味が良いとされる。これは呼び名を含めて全くネパールと同じなのが面白い。




Cパンガーシュpangas(英名yellowtail catfish)のトルカリ
トルカリはベンガル語でいう「おかず」
パンガーシュはバングラデシュでもポピュラーな大衆魚で、ルイやイリシに比べて小骨が少なく外国人でも食べやすいと思われている。




D牛肉(ゴルール)のムガライ風のレザラ
特にダッカ旧市街などにはムガライ料理の影響を受けた料理の伝統が残っているらしい。
こうしたコッテリとした宮廷風料理もまたご馳走料理として祝宴などでは出されるという。




Eシャダロン・カバール
ベンガル語で「普通の料理」を意味し、祝膳とは違う、いわゆる家庭で食べられる日時食。ムガル風のコッテリしたカレーは外来料理でベンガル固有の料理ではなく、むしろ本来のシャダロン・カバールこそがバングラデシュ料理の真髄という)

このシャダロン・カバールが2種。一つは里芋(kochur)の茎(loti)と小エビを和えたトルカリと、もう一つはホック社長にお任せしたところオクラとkoral(英名Barramundi)のトルカリが出された。特に前者は典型的なローカルのバングラデシュの味。






Fシャダバート(いわゆる白ゴハン)。プラオとパンタ・バートは頼んでいたのに肝心の白ゴハンを頼むのを忘れていた。シャダロン・カバールに合わせるのはやはり非日常的なプラオなどではなくシャダバートでなければ。これは電話で社長に追加してもらった。



Gホック社長の好意でダルがサルビスされた。このダルはモシュール(マスール)を使用。白ゴハンにダルをかけないことには…との食に対する社長の高い意識が感じられる。



Hデザートのベンガル名物ミシュティ・ドイ(甘いヨーグルト)。ベティクロムはそもそもベンガル菓子屋で、一般客向けに500g入りのミシュティ・ドイもショーケースで販売しているが、個別容器にそれぞれ作って準備してくれたものは更に美味しく感じられる。さすが本職だけあって絶品だった。



以上の構成で3,000円。メニュー構成は宮廷風からイベント料理から普通の料理までをカバーした欲張りなものになった。非常に美味しく割安な本格的バングラデシュ料理会だった。




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2017年05月17日

五反田クマリマーでのネワール祝膳の会


五反田クマリマーにてゴロオさん主催のネワール祝膳の会に参加させていただきました。
開店時に納品でお世話になった女性店主のサキャさんにご挨拶。ネワールの伝統衣装で気合いが入っている。







まずトゥッチャと呼ばれる前菜的なプレートが真ちゅうのさらに盛られて運ばれる。このプレートはチョェラ、ミエー(ネパール語でジブロ/舌)、ケーウォ(卵)、ネププア(ネパール語でギッディ/脳味噌)、アルワラ(ネパール語でアルサデコ/ジャガイモのスパイス和え)、バラー、ヨマリが乗っている。




ちなみに祝い菓子のヨマリはこうした祝膳に必ずしも付けられるものでないが、たまたまこうしたイベント料理を作る機会に店の配慮で付け加えてもらったもの。通常ヨマリはヨマリ・プルニマ(ネパール暦マンシール月の満月)の日の他にもスワヤンブー・マ・パターチャウという祭りの際にも食べられるという。


ネワール語でチャンの事をトワーという。サキャさんがソーマ(トワーの入った容器)を持って各人のソリエ(素焼きの器。酒だけでなくクワ=スープ類もこれに注がれる場合もある)にトワーを注いで回る。ちなみにアイラ(ロキシー)の入ったサーブ用真鍮容器はアンティーअन्तीという。


ソーマでトワーを注ぐ


アンティーअन्तीでアイラを注ぐ


アイラ用の小さなおちょこも真ちゅう製


続いてメインのウェ(भेंअまたはभोंएとか記述される)。葉皿のロプテに以下の料理が順々に置かれていく。



ブーティ(ネパール語でボデイ/ロビア豆)
ワウンチャ(ネパール語でサグ/ほうれん草)
ライ(大根)アチャール
ムシャまたはハクムシャ(黒豆)
ボウジ(ネパール語でチウラ。ちなみにチウラを入れている竹カゴはダワという名前で、チウラを入れる目的だけの用途だという)
ダコーラ(チキンのカレースープ)
シンプ・クワ(インゲンのスープ/クワ=スープ)
ライ・クワ(大根のスープ)
ヘーラ(アヒル(の代わりにチキンで代用)と生姜のスープ)
カシ・クワ(カボチャのスープ)
ミー・クワ(メティのスープ)
トウフ・ゴルベラコアチャール(トウフ入りのゴルベラコアチャールのスープ)
ポーン・クワ(ポーンは酸っぱいという意味で、通常はラプシが使われるが日本では梅干しで代用)
カシ・コ・プクラ(プクラはネパール語でいうブタン=マトンの臓物炒め)
ダウ(ヨーグルト)
ラールモハン(インドのグラブジャムーン)
生のライ(大根。生の大根は消化にいいので食の一番最後に生でかじる)





ネパールの中でも随一の食文化を誇るネワールの奥深さに触れるような食事会だった。
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2017年04月17日

【ナマステ福岡への道 vol.17】松江市・インド料理店スパイス


島根県松江市には今まで何度もアジアハンターをご利用下さっているインド料理店スパイスさんがあり、前々から気になっていたが、今回のナマ福出店がいい機会なので東京への帰途、日本海側から松江市に寄り道する事にした。こうした山陰道はまだ高速が未開通の区間が多く、土砂降り雨の中やや苦労しながら狙い通りの午後少し遅い時間帯に到着。



店内に入るとマハトマ・ガンディーを髣髴とさせるようなクルター・パジャマに黒縁丸メガネの店主・成瀬さんにご挨拶。



いつも注文いただく際は電話かFAXだったので、老舗のベテラン店主さんの姿を想像していたが正にその通りだった。そしてイケメンの息子さんもお父さんをサポート。店内かなり広いがこのお二人で回しているという。



店内見回すと内装が素晴らしい。20数年前の開業からほとんど改装無しで使っているという。創業時のコンセプトがはっきりしていてブレが無い事が伺える。壁面の重々しい造りの木の本棚にはインドの田舎のHutと呼ばれる藁ぶきで土壁、石灰や牛糞で化粧した家々を撮影したVillage India やこれまた名著Tandoor またラグー・ライの写真集などが並んでいる。自作したというオリジナル・テーブルも味わい深いし、全体的に店内は暖かい雰囲気に包まれている。





オーダーした料理はランチのターリー。南インド風のエッグカレー、バターチキン、タンドリー・ジンガー、レモンライス。このバターチキンが素晴らしい。ネパール人の店の甘い味に慣れてる舌には改めてバターチキンとは本来こんなに美味しい料理であることを再認識させる。レモンライスもガッツリレモンが効いていてよく合う。あまりに美味しいのでレモンライスとサーグパニールを追加。こうした老舗にありがちな昔ながらの味とはまた違う、日々インド料理を研究し続けている真面目な姿勢が感じられるターリーだった。





元々スパイスさんは割と前からアジアハンターをご利用下さっているが、そもそもウチを知ったのは広島のケーララ食堂さんからの紹介との事。ケーララ食堂さんも今回のナマ福への旅の道中、立ち寄りたい候補だったが閉店されていた。と思ったら、広島の里山のインド料理店プラシャンティさんから現在新店舗の工事中で、間も無くオープンとの話を聞く。老舗インド料理店の皆さんはいろいろ繋がっている事を実感した。





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2017年04月15日

【ナマステ福岡への道 vol.16】ナマステ福岡出店当日


6日に東京を離れて寄り道の多い道中を経て、ともすれば忘れがちな本来の目的であるナマステ福岡(主催者側正式略称:ナマ福)に二日間出店し、無事に閉幕しました。





九州はおろか全国にその名を轟かす名店の方々から、ある種の盛り上がりを見せる福岡スパイスムーブメントの中心にいる方々、虎視眈々とこれからインド料理店を展開しようとする若き料理人の方々、これまた独自の進化を遂げる福岡ネパール世界の方々、趣味の域にとどまらないようなディープなカレー活動を繰り広げるカレーサラリーマンやカレー学生の方々など福岡周辺のスパイス/カレー/インド関係のたくさんの皆さんがブースに来ていただき本当に活動しています。ありがとうございました。福岡のカレー・シーンがこれほどまでに複雑かつ重層的に展開されていようとは想定の範囲外でした。







福岡滞在中は山口先生ご夫妻宅にお邪魔させていただき、筆舌に尽くしがたい福岡家庭料理の最高峰を美酒(前日のケーララ正月Vishuにかけてる訳ではありません)と共に堪能させていただきました。こちらも本当に感激しました。ご馳走になった料理のごく一部写真を是非ご覧下さい。










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2017年04月14日

【ナマステ福岡への道 vol.15】沖縄モスクの金曜礼拝と礼拝後のハリーム


沖縄にも少なからぬムスリムは在住し、礼拝のためのモスクもある。元々琉球大学のムスリム留学生のために大学内に礼拝所は約30年前ぐらいからあり、また今でも学校関係者以外でも礼拝は可能とのことだが学外の需要に応え約3年前に中頭郡西原の地にプレハブながらモスクを取得。現在近くの場所に新たなモスクを建造計画中だが、在籍するムスリムの多くが留学生のためなかなか寄付金が集まらず、近々来沖する福岡モスクの幹部にも相談するという。




壁に貼られていた新規モスクへの建造計画書

ナマーズに集まったのはパキスタン、アフガニスタン、バングラデシュ、アフリカ諸国などな中にマレーシア人の奥さんを持つ日本人の方も一人いた。どの国籍が多数、ということもない。コーランを読みイマーム代わりに(流暢な英語で)説法していたのはパキスタン出身の博士課程にいる方。







来ていたパキスタン出身者から話を聞くと、沖縄には純粋なハラールレストランは存在しないという。在沖縄パキスタン人の中で唯一中古車ビジネスをしているという方はそういう意味で自らがハラールレストランビジネスも考えているという。来月からラマダーンだがイフタールもこの場所でやるという。



沖縄にいるメリットとしては、バクレー・イードの際の山羊入手先に困らない事。県産山羊が至るところで入手出来る。これはネパール人がダサイン祭を行う際も同様である。

礼拝が終わると有志の方(パキスタン人で中古車輸出ビジネスをされている)からライスとハリームがふるまわれた。集まった皆さん分け隔てなく供出され、ひと時の歓談/情報交換の場となる。




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2017年04月13日

【ナマステ福岡への道 vol.14】バングラデシュ青年宅でバングラデシュ家庭料理


沖縄到着初日、たまたまお茶を買いに入ったホテル近くのコンビニに勤務していたバングラデシュ勤労学生のサミール君。その場でちょっと会話し、また翌日行ったら居たのであわよくばと思いバングラデシュ料理の話題を色々振ったら「じゃあ食べに来ますか?」と話は希望通りの方向に進み、本日ディナーをご馳走になる運びに。短い沖縄滞在中インド人の家庭だけでなくバングラデシュ人の家庭料理までご馳走になるとは旅の醍醐味である。



指定された彼らの住所を訪ねてみるとそこには二段ベッドが二つ置かれた学生寮だった。彼らバングラデシュ学生は4人でこの部屋に住んでいる。部屋の台所からはスパイスのいい香りが漂ってくる。元々サミール君たちはバングラデシュ第二の街チッタゴン方面の出身なので、ダッカでの自炊生活経験もあり料理もお手の物との事。このサミール君の兄のフィアズ君と同級生のウマル君が料理を手伝っている。





もうじきバングラデシュ正月のボイシャキで、本来ならパンタイリシュpantailishを食べてお祝いするのだが食材の入手も難しくアルバイトも忙しいのでそうした料理は口に出来ないという。





そうこうしている内に一皿目が完成。ソーメンをマサラ風味に味付けしたもの。普段は主にこの料理を食べているらしい。ソーメンを使うところに沖縄らしさを感じる。ちなみにバングラデシュではこの料理を何と言う?と聞くと「ヌードルです」との返答。



次いでジャガイモ入りの骨付きチキンカレーと濃厚な味わいのキチュリ。手のかかるキチュリは休みの日に食べるご馳走らしい。人参を細かく刻んだサラダも振りかけてくれた。これがまた美味い。







彼らの通うSaelu学院は那覇市内にあり創立2年ほどの新しい日本語学校。バングラデシュ人4人、イギリス人1人、中国人1人、アルゼンチン人1人、あとの5〜60人は全てネパール人だという。ここでもネパール人学生の多さを実感する。なぜ彼らが沖縄を選択したのかというと、彼らがバングラデシュで通っていた学校の先生が沖縄出身だったらからだという。その先生がしきりに沖縄の話をするので自然と沖縄を目指すようになったという。しかし学生生活を終えたら東京か大阪に出たいという。



彼らバングラデシュ人学生から見たネパール人学生観が面白かった。曰く、ネパール人学生はハードワーカーだがあまり学校に来ないし、来ても酒臭かったりする。ハードワーカーなのは幼少時から労働をして来たからで、自分たちとは環境が違う。自分たちはあくまで勉強に来たから去年一年で学校を休んだのはイードの日の二日間だけだった。ネパール人学生はビザを取りやすいがバングラデシュ人は日本大使館で日本語の面談と預金証明20ラックタカ見せなければならないetc

このような限られた沖縄在住のバングラデシュ学生の学生生活などの話を聞きながら彼らの心尽くしの料理に舌鼓を打つなど、改めて今回の沖縄旅の充実度を感じた夜更けだった。


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2017年04月12日

【ナマステ福岡への道 vol.13】那覇市Shiva Mahalでダルバート/ネパール食材店シティマート沖縄店


東京や福岡で事業を展開するSantoshさんがFBを見てくれてメッセージをくれた。彼が都内でも経営するネパール食材店兼レストランのCitymartの沖縄店と、在沖縄のパートナーと共に運営しているShiva Mahalという2店あるとの事。共に那覇市内にある両店はお互いそれほど距離もないが、宿泊先からより近いShiva Mahalにこの日は行ってみることにした。



店内はかなり広く、数人のネパール人客が入っている。その中に在沖縄のパートナーさんもいらっしゃり、那覇市内の日本語学校に通うネパール人学生の事、那覇市内のハラール食材店(バングラデシュ人オーナーでネパール人をアルバイト店員に雇っている)の所在地など沖縄に於けるネパール人の動向を知る上で欠くことの出来ない重要情報を入手した。


また去年出た沖縄ローカルネタ雑誌「おきなわ倶楽部」の8月号がカレー特集で、かなり詳しく沖縄のインド・ネパール料理店も網羅されている。Shiva Mahalもこの雑誌の取材を受けていて、店内で熟読させてもらった。



ダルバートの肉はマトンを選択。骨付きの美味しいのを出してくれた。山羊文化華やかなりし沖縄のためか、昼に食べたカスタマンダップでも感じたがマトンが美味い。またサルビスで豚のセクワもいただいた。まさかアグー豚ではないだろうがジューシーで美味しかった。




さて別の日。Shiva Mahal同様Santoshさんが経営に絡んでいるという那覇市のネパール食材店シティマートの沖縄支店を初訪問。



今年1月オープンの真新しい店内。は飲食スペースの方が広く日本語学生が頻繁に出入りしている。この日も近くの日本語学校に通うネパール学生たちがまだ日が高い内からビールで乾杯していていい雰囲気を醸し出している。






メニューは明らかにネパール人対応。食材を買いに来たネパール人もバトマスサデコだけお持ち帰り、みたいな感じでついで買いしている。夜になるとさらなる賑わいを見せるようで、今後こうした店やドーリーサージのような店が増加することが予想される。






他に沖縄のネパール/ハラール食材店はバングラデシュ人オーナーでネパール店員がいるProbashi Hala Food Shop http://www.probashihalalfood.com または牧志のエベレストカリーハウスの店内一部に食材コーナーがあるという。



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2017年04月11日

【ナマステ福岡への道 vol.13】浦添市JSLとネパールレストラン


東京で知り合った何人かのネパール人から、沖縄にもネパール人学生が多いという話は数年前から聞いており、更にネパールでアツい福岡市に支店を出すようなネパールレストランが沖縄も視野に入れているという話が時折耳に入ってくるようになっていた。


ネットや口コミを調べると浦添市にあるJSL(日本アカデミーという日本語学校とインターナショナルカレッジという専門学校の二つで構成されているらしい)という学校にネパール人が特に多い事が分かった。こうして浦添市に目星を付けておき、更にその周辺も探ってみることにした。


国道53号線からのJSL遠景


JSL正面玄関

JSLに到着したのが中途半端な午前11時頃。まだ授業中なのかネパール人の姿(はおろか一般通行人すら)は見えない。とりあえず何か食べながら話しを聞こうと学校近くのインドネパールレストラン・カスタマンダップ浦添・仲西店へ。



店の外観写真を撮っていると中から手を振るネパール人が居る。よく見ると昔からの顔なじみのアムリトさんだった。東京で送金会社の営業として勤務している彼はたまたま沖縄に営業に来ていて、このカスタマンダップの社長と提携してこの店の中または近くに送金ブースを作るらしい。今のところまだ他の同業者は出店していず、またJSLは学校併設の学生寮があり彼らの大半はここのカスタマンダップに食事に来る。多くは勤労学生でネパールに送金したり仕送りされたりする必要があるので送金屋が近くに出来たら便利だろう。


東京から出張に来ていたアムリトさん

元々カスタマンダップのネパール人オーナーは北谷で長年営業していたが、JSLが出来て以降ネパール人学生の需要を見越して約2年前にこの場所に支店開設したという。




毎日のように食べに来るというネパール人学生さんたち

昼の早い時間だったので店内は数人の学生がいるばかりだったが、表にはネパール語のボードもあり、またネパール人学生向けの学割料金400円で食べられるダルバートも凄いボリューム(その代わりおかわりは出来ないらしい)。更にこの店ではツケが効き、学生は食べる毎にノートに名前を書き、バイト代の出る月末あたりにまとめて支払うという。


ネパール人学生のツケ・ノート。
明細には日付とチヤ1、カナ1といった食べた内容が記載されている。

ちなみに別の学校近くには日本人経営のネパール人向け飲食店もあると聞いた。見るとネパール・カジャガルAparagiという店もあり、この日は閉まっていたので未確認だがアパラギとは沖縄宮古方言で美人を意味するらしく、ここがその店だと思われる。




カスタ・マンダップ店前に出されているネパール語のメニュー

客として来ていた学生に聞くと、取り立てて出身地別のサマージとかグループなどはまだ存在せず、コミュニティでの祭りなどは頻繁ではないらしい。皆、勉強とバイトが忙しく夜遅くにこの店で食べて寝る。進学・就職先はまちまちで、東京に出たいという人も居ればネパールに帰りたいという人もいる。JSL以外の那覇市内の日本語学校もネパール人学生は多いが、その理由は入学しやすいからだという。現在この学校にはネパール人学生が約350人居てベトナム、中国などの学生を抜いて最多出身国である。今後こうした卒業生が那覇市などでのレストラン出店が予想され、更には付随するビジネスも展開しそうな気配である。
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2017年04月10日

【ナマステ福岡への道 vol.12】旧コザ市のインド系衣料品店




ヒンドゥー寺院に集まっていたインド人たち(皆さん国籍はインドのままの方が大半)は、ほとんどが北中城の旧コザ市のゲート周辺で衣料品店を経営している。店名はインド、ボンベイ、サティーなどいかにもインドを連想させる名称が少なくない。ムンバイではなくボンベイであり、書体も含めて60〜70年代のレトロなインドがそのまま残っていて多少興味深い。











置いてあるのはいかにも一昔前のアメリカ人が好みそうな衣料品だが気の毒なほど客足が少ない。

ちなみにゲート通りとはかつて存在した嘉手納基地第2ゲートに至る通りだったことから呼称されるようになった名称。戦後の米占領時代から特にベトナム戦争時には多くの米兵が街中にあふれ、在沖縄インド人の商売も最盛期だったという。

景気は徐々に後退し、特に1972年の沖縄返還以降、流通していた米ドルから円への切り替え及び円高ドル安のあおりでアメリカ人の購買力の低下や賃貸料などの諸経費の高騰、近隣に巨大なイオンモールの出現などの影響で主にアパレル系の小売店を経営している彼らには厳しい経済状況が続いている。ちなみにこのイオンモールはイオンモール・ライカム沖縄という名称で、このライカムRycomとはかつてこの地に置かれていた琉球米軍司令部(Ryukyu Command Headquarters)の略称である。










インディアン・テイラーのサンジャイ・サマーダーサニーさん。お店の名刺の他に、キリスト教の教会活動をしているという名刺をいただいた。名前はいかにもなヒンドゥー教徒だが、沖縄の第二世代は在沖縄のキリスト教系の学校に主に通っているためキリスト教により親近感を感じる傾向にあり中にはクリスチャンに改宗する人もいるという。また第二世代は第一世代よりも当然シンディー語の能力は低下しているが、コミュニティーとして特に学習会などを行うといった事はないらしい。




ゲートから少し離れたパークアベニューにあるインド雑貨を扱うインド屋のビクター(ヴィシュヌ)さんは以前娘さんに連れられてナマステインディアに来たことがあり、その際名刺も頂いていた。やはり客のいないお店を訪ねるとチャイを出していろいろと話してくれた。





ビクターさんも他のインド人同様元々香港で働いていたスィンディー・パンジャビーで(店の片隅にグル・ナーナクを祀る神棚がある)、その会社から派遣されて沖縄に来た。その後74年に友人たちと共にテイラーを開業したが友人たちが辞めたため一人となり、日本人も対象にすべくパークアベニューのアーケードができる82年にインド雑貨を扱うインド屋として形態を変更。その頃が最も景気が良く、4店舗構えていたしこの頃結婚したという。その頃は座るヒマも無い程の忙しさだったが、次第に景気も退潮して現在に至る。たまにインドに行って直接仕入れたりもするが昔ほど頻繁ではない。


ビクターさんからは他にスィンディー系のオーナーが経営するインド料理店や彼の友人が経営するインド料理店を紹介してもらった。「あそこのオーナーはいい人だから食器も買ってくれるよ」など優しいアドバイスもいただいた。
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