2016年10月13日

【関西インド紀行vol.9】インド家庭料理クスム・実家編

この日のディナーは、神戸在住でインド料理に詳しいハギーさんによる仲介で約束通りインド家庭料理クスムのプリンス氏宅で北インド家庭料理をご馳走になった。







特にナヴァラットラ・ヴラト(ドゥルガー女神への願掛け断食)明けの料理は根菜類や玉ねぎすら使わない厳格なベジ料理を家庭で料理して食べるという話しに興味をそそられ、それでは是非家庭でのその料理を食べさせて欲しいとダメ元で言ったら快く承諾してくれた。









インド家庭料理が本業の店の家庭料理、まさにインドの家庭料理オブ家庭料理を食べられるという、非常に貴重な機会を与えていただいた。これも仲介していただいたハギーさんが築き上げたプリンス氏との良好な人間関係によるもので心より感謝。





尚、食事前にプリンス氏の知人でマンションを所有しているモトワニ氏という方が自宅最上階の大きな一室を寺院として解放している。そこにダルシャン(お参り)させてもらった。

料理の内容は
スージーカドクラ
カボチャのサブジ
アルマタル
ラールチャナマサラ
ダール
プラオ
プーリー
スージーカハルワ
カラカンド
キール
自家製アイス
ケーキ







男性陣が食べている間、台所では女性陣が出来立てのプーリーを揚げて甲斐甲斐しくサーブするインド伝統的スタイル。カレー類はもちろんデザートやアイスに至るまで全て手作り。ケーキには卵も当然未使用だが、とてもそうは思えない程しっとりなめらか。シプラさん言う通り、正しく北インドの家庭料理そのもので、これだけでも神戸に来た甲斐があった。





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2016年10月12日

【関西インド紀行vol.8】インド家庭料理クスム・店舗編

この日のディナーはハギーさんと、そして親とは全く似つかわしくない可愛いらしく聡明そうなハギーさんの娘さんと一緒にインド家庭料理クスムへ。



食器の注文などで何度かプリンス氏とは電話でのやり取りしたが1年ぶりの訪問。今回初めてプリンス氏の美人の奥さんシプラさんにも会い、料理やら商売やら色んな話をした。もう来日5年だというのに恥ずかしがってシプラさんはあんまり日本語を話さない。

今回初めてプリンス夫婦がUP州出身(ラクノウの近く)だと知った。アジアハンターの業務をインドで手伝っている業者もUP州で、このあたりの人たちは綺麗なヒンディー語なので分かりやすくて助かる。聞くところによると普段は(言葉の問題もあり)あまり日本人客とは話すことは少ないというが、ヒンディーになるとここまで喋るとはとハギーさんは驚いていた。



奥さんと話しているうち現在ヒンドゥー教ではナヴァラットラに祭りの最中だが来週の月曜日がナヴァラットラの最終日との事(ちなみに翌日がインドではダシャミー、ネパールではダサインである)が判明。その日には断食明けでご馳走を作るので是非ウチに来ればと誘われた。家庭料理屋さんが作る家庭料理とは、何としても食べたいので是非にとお願いした。

この日お店で食べたのは美味しいチャパティと三種のベジカレーの後はアディラクの効いたチャイとグラブ・ジャムーン。地下に新設した食材店舗も見せてもらった。





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2013年10月30日

御徒町ディワリー2013

数年前から行きたいと思っていた御徒町のジャイナ教系コミュニティのディワリーに行く機会を得た。以前確認した限りではドレスコードがあったり紹介が無ければ不可だったりなど、jainコミュニティ内のごく限定的な集いであり、当然ながら外部の者ましてや日本人など部外者であり全く彼らの眼中にない。外部の者にしたら他のインド系ディワリー・イベントに比べ比較的閉鎖的で入って行きにくい印象、従って行われているのは数年前から知りながら、なかなかその内部を垣間見る機会は得られなかった。今回御徒町で商売をする知人(インド人)を介してたまたまイベントのチケットを入手出来たので、初めて御徒町ディワリーを見ることが出来た。



台東区のラ・ベルオーラムという大きな結婚式場の地下2Fが会場となる。ここに着飾った主に宝飾系のビジネスに従事するジャイナ教系インド人が数百人集まり、インドから招聘した芸能人などのステージプログラムやケータリングの食事を楽しんだ。子供がステージに上がったり、当初は大人しく聞いていた聴衆も飽きて立って移動をはじめたり私語がデカくなったり勝手に踊ったりというグダグダ感が、インドのイベントらしくて雰囲気がとてもいい。 日本では普段あまり目にする事の無いゴージャスなサリーやパンジャービーの女性たちも多く思わず目を奪われる(御徒町のジャイナ教系インド人はリッチな人が多い)。ちなみにアンビカの社長一族なども来ていてご挨拶した。



ちなみにディワリーの祭日、北インドのヒンドゥー教徒はラクシュミー女神に対するプージャを行う(ちなみに2013年は11月3日の18:02〜20:35がラクシュミー・プージャーの時間とされている)。この祭りは北インドのヒンドゥー教徒の祭りだが、同様に北インドに分布するジャイナ教徒やスィク教徒にとっても祝日としてイベントを行う場合が多い。ただしラクシュミーがヒンドゥー教神格であることから信仰的なイベントではなく、感覚的には日本人がキリスト教徒でもないのにクリスマスを祝うのと近いだろうか。従ってステージ上にラクシュミー女神像などは当然ながら無い。



尚、ディワリーを大きく祝うのは北インドのみで、南部4州では同じヒンドゥー教でも非常に小規模に祝われるらしい。たまたま本日バンガロール出身のインド人と話す機会があったのでその理由を聞いてみたら、ビジネスに熱心な北インドで強く信仰されるのが富の神ラクシュミーだが、南インドではビジネスよりも哲学や教養などを優先するからラクシュミーへの儀礼のプライオリティが低いのだ、と語っていたが、これはおそらく間違いで、そもそも地方宗教の集合体であるヒンドゥー教の中で、ラクシュミー女神の出自が北インドだったのと、ディワリーは収穫祭の側面もあるがそもそも北と南で収穫時期が異なるからなのだろう。

さて、当日仕事で遠くまで行っていたため遅れて会場に着いたので、既にステージ上ではインドから招聘したという芸能人が立ってショーが始まっていた。集まった人たちは400人以上という。



芸能人はステージ上で漫談のようなトークをしつつ、その合間合間に女性歌手が登場したり形態模写の芸人が入ったりするという、アジアでよく見られるようなスタイル。トークの内容は、例えば日本とインドの違い、日本の整然とした交通マナーとインドの滅茶苦茶なのを比べて、いったんインドを落として笑いを取り、「しかし私たちのインドは独立以来頑張ってきた…」と『独立』『私たちのインド』など故国を離れたインド人が好きなキーワードを並べて郷愁を刺激。またパキスタンの悪口もお決まりな感じ。パキスタンのクリケット選手と結婚したテニス選手のソニア・ミルザを皮肉ったり、近頃の玉ねぎ価格高騰への苦情、バジパイ首相/シン首相のマネなど、日本のテレビ芸人などに比べるとずいぶん古いスタイルのように感じるが聴衆は皆手をたたいたり口笛を吹いたりして笑っている。多弁昔の日本の芸能もこのような漫談がメインだったのではなかろうか。インドの一般大衆がどのような娯楽を求めているのか、またその内容などが把握出来て非常に興味深かった。

こうした漫談の合間に、トレイにサモサやスナック類、お菓子(ミターイー)を載せたウエイターが会場内を回ってコバラの減った客たちにサーブして回る。この光景はインドのパーティーや結婚式などで目にするものと同じである。



芸能人たちはムンバイから招聘され、中にはFIlmafare Awardの幕間で形態模写を演じた芸人もいて、ラージ・カプールとかラジェーシュ・カンナーとか古いのばかりながら喝采を浴びていた。尚こうした観劇の最中、ウエイターが大きなトレイにパコーラやサモサ、ミターイーをもって席を回り、お客たちがめいめい取っていくスタイルはインドの結婚式パーティーなどでもよく目にするスタイルで、ここでも踏襲されていた。

18時を回り、待ちに待った食事タイム。プログラムにはJain-FoodとNon Jain-Foodを選択可、と記載があり、同じ菜食ながらタマネギや大根などの根菜類やニンニクなどすら摂らないというJain-Foodも食べられる形式になっていた。こうした原理主義的な食事スタイルは一部クリシュナ信仰形のヒンドゥー教徒にも存在する。一体、タマネギとニンニクを使わないインド料理が美味しいのかかねがね疑問だったので、とりあえずJain-Foodをいただいた。ダールマッカニ風のもの、パニールを使ったクリーミーなもの、クシに刺したパコーラ風のものなどいずれもコクもあって美味しい。ナーンは非菜食なので当然ロッティで、こちらもしっかりとした味わい。全く同じメニューのNon Jain-Foodの方も食べてみたが、何となくコクという点ではJain-Foodの方が勝っている気がした。




ジャイナ教徒の地元ラジャスターンの食事を彷彿とさせるロッティが数種類並んである。
菜食のため卵の入っているようなナンは出ない。


クリーミーで濃厚な野菜カレー




↑上のクシを通したものは野菜を揚げてカバーブ風にしたものだった
下はイドリー。別皿にホワイトチャトニーとグリーンチャトニーが準備されている。





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2013年02月21日

『マリゴールドホテルで会いましょう』

昨日20日水曜、インドを舞台にした『マリゴールドホテルで会いましょう』を観ました。

起承転結がありラストはハッピーエンドでまとめているが、やや盛り込みすぎに感じた。原作を読んでないが、多分脚本は原作に忠実なのではないだろうか。インド旧来のしきたりを重視する母と、新しい価値観を持つ息子との対立という、ある意味インド映画の定番的図式を、インドの抱える今日的課題として制作陣は提示したいのだろうが、見ている側の視点が定まらず蛇足的な印象。この辺はもうバッサリ削除していいと感じた。

それよりインドに来たかつての宗主国出身者たちを、個別にもっと丹念に描く方が、対比的にインドを浮き立たせられるのではないだろうか。せっかくインドを知るイギリス老人という希少な設定なのだから、それぞれ抱えてきたバックボーンやそれぞれのインド観などをより特化した方がいい。
とは言え特に冒頭シーンなど、イギリスにおけるインドの見られ方などが垣間見れて少なからぬ発見もあり参考になった。あと音楽とその挿入のされ方が非常に良かった。

舞台となるジャイプールは、ストーリー上インドの後進性をかなり誇張させたイメージで描かれている。そのため大体10年〜15年前によく見られた光景がそこに描かれていてある種の懐かしさを感じさせる程、逆に言えば現代のインドの急速な発展を思い知らされた。

マレーシアやタイなど東南アジアの居心地のいい国などは高齢者のためのロングステイ用ビザを出しているが、インドも将来的にそういう方向になるのだろうか?仮になったとしてもビザ取得要件など相当厳しいものに違いなく、ならばそんな苦労してまでこの映画に描かれたような過酷なインドにロングステイしようとする高齢者など果たして旧宗主国出身者以外に居るのだろうか?などといったことを考えさせられた。
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2012年12月21日

結婚式@チェンナイ

チェンナイ滞在中、運よく知り合いの親戚の結婚式に招待された。特にこの日を狙って滞在した訳ではないのでフォーマルな衣装など持ち合わせていなかったが、基本的にこうした結婚パーティーの場ではドレスコードは日本ほど厳格ではなく、気軽に参加出来るのがいい。



市内中心部のホール(Janaki Krishna Hall)。収容人数数千人という。
到着した時点で夕刻を過ぎており、すでに宴もたけなわな時間帯だった。





ホールのエントランス部分には花で作られたコーラム(吉祥の印)が描かれていた。
このコーラムが密教に取り入れられてマンダラとなったという。
マンダラはこちらでも販売しています



ホール内部。女性たちのカンチープラム・サリーが特有の光沢を放って美しい。



参加の男性たちも南インドの正装である白いクルターに白いドーティでキメている人も少なくない。黒い肌に白布がよく映える。やはりワイシャツ+スラックスよりもこちらの方が断然『絵』になる。



新郎新婦の周りには人が途絶えることなく集まり、記念撮影など行っている。
彼らは共にアメリカ在住のエンジニアで、故国に戻って盛大に式を執り行った。異国で恋愛し結婚する場合でも届けを出すだけといったスタイルは少数派で、故国に戻って式・披露宴を行うのがインドでは一般的で、日本国内に在住しているIT技術者たちもそのようにしている(日本国内でインド人同士が恋愛結婚するケースはほとんど無いため、だいたいが一時的にインドに戻り見合い〜結婚し、日本に戻る、というパターンが多い。またインドでは12月が婚礼シーズンなのでこの時期インドに一時帰国する人が多い)。

尚、インドではこうした式やパーティなどは全て主催者持ちとなる。祝儀といった習慣もない。この日の招待客は1000人以上だという。費用の総額は250万円ほどかかったらしい。これ程の規模になると婚姻者及びその親族などといった個人の能力を超えるため、専門のブライダル会社が宴の一切を請け負う。その会社の担当女性社員がホール内をヘッドマイクを付けながら闊歩していたが、さすがにこの規模の婚礼を取り仕切るだけあっていかにも有能そうな女性だった。



ホールの片隅ではヴィーナやムリダンガムといった南インド古典音楽の楽器がおごそかに生演奏されている。招待客の中には演奏のターラ(リズム)を指で取っている音楽通などもいる。



最大の楽しみである食事。食事は建物二階に上がったところでいただく。
これも特に一同一緒に乾杯などなく(だいたいインドの結婚式で酒は無い)、大きな食事スペースで気の向いた人がそれぞれバラバラに食事をする、という至って自由なスタイル。インド人主催の食事付の室内イベントはほぼ例外なく、国内外問わずこのようなスタイルが一般的。



当然のことながら南インドのハレの日の食事は純正菜食となる。
バナナの葉も一般の街食堂で見慣れているものよりも新鮮で明るい色の若葉が用いられている。





次から次へとひっきりなしに具材をバケツに入れた給仕係がサーブする。
また当然こうしたハレの食事は手食がマナーであるため、食べ物の名前を聞いてもメモれないし写真も撮れないため純粋に食べることに専念する他ない。ちなみにサンバル・ライスがとても美味しく4〜5回はおかわりした。(何度でもおかわり可能)



別の場所ではアイス他、デザートコーナーまで設置されていた。これも食べ放題。正に至れり尽くせり。



タミル人の結婚式に招待されたのは初めてではないが、改めてトラディショナルな南インドの結婚式の素晴らしさを噛みしめた一夜となった。

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2012年07月27日

काँवर यात्रा

今回のインド仕入では聖地として有名なバラナシにも滞在しました。
ちょうど雨季中のバラナシではカンワール・ヤットラの最中で、聖地バラナシにも多くの巡礼が聖なるサフラン色の衣装に身を包み、天秤棒(カンワール)を担いで北インド各村・町から、数キロ〜数百キロを数日かけて徒歩でやってきてシヴァ神を祀る寺院(バラナシの場合ゴールデンテンプルの通称で知られるヴィシュワナート寺院)に参拝したのち、ガンガーの水(ガンガージャル)を汲んで再度、各々の村に持ち帰る、というお祭りです。




ヴィシュワナート寺院の周りには本尊への巡礼者が1キロはくだらないかという長蛇の列をなしている。






インドではこうした巡礼が少なくなく、参加者も若者が目立ちます。カンワール・ヤットラのような過酷なものではなく、短いものでは例えばバラナシ周辺を一周する巡礼などもあり多くの老若男女が参加しますが、彼らがすべて特段信心深い訳ではなく、日本でいえば市民マラソンに参加するような感覚もあるようです。その日一日果物だけを口にし、長距離を歩くので完遂後はスカッと爽やかになるらしく、それが信心深い人たちにとっては一種の神秘体験として感じられるのでしょう。


いつのころからか夕刻〜夜半にかけて、ダサーシュワメート・ガートでショー化されたプージャが行われるようになっている。





大勢の観光客・野次馬が集まり、雰囲気的にはある種、バリの寺院でバリ舞踊を見ているのに近いだろうか。とはいえ行うのは鐘を鳴らしながらマントラを唱えるだけの単なる火の儀礼。特に歌って踊る訳ではないが、なぜか長髪イケメンのチャラい五人組のプージャリーがダンスグループのように揃って登壇し、ダンスまがいの妙に身体をよじらせながらのプージャをする。ごく数年前まではいかにもといった感のプージャリー(司祭)が荘厳さあふれる感じで行っていたのだが。とはいえ火葬される死体や早朝の沐浴風景の他に新たに観光材料が出来るのは地元の観光客相手の業者にとっては歓迎すべき事なのだろう。
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2012年07月23日

デリー〜バラナシ移動

デリーからバラナシまで車移動しました。


タージマハルで有名なアーグラーを経由する有料道路がカルカッタまで続いており、デリー→バラナシまでの約800kmをおよそ12時間かけての移動となります。

州境を超えてUP州に入る。道路案内にTaj Mahalの字も見える。



有料道路とは言え、周辺の地元民にとっては日常の道路であるため道路脇には牛飼いが数頭の牛を歩かせていたり平気で横切ったりする。そんな道を時速120kmで飛ばすのだから怖くて助手席に座っていられない。実際死角から表れた横断者をはねそうになって急ブレーキ踏んだ時には肝を冷やした。






途中、フィロジャバードというチューリー製造で有名な街を通る。街の至る所大小のチューリー工場があって見学も可能。通りには台車にチューリーを満載した運搬者が行きかう。





こちらは一見、何の変哲もないただのロードサイド。




ここにあるモーハン・ミシュタン・マンダールというお菓子屋がこのハイウエイを通る人々には有名らしく、ひっきりなしに路肩に車を止めては客が訪れている。





店内は巨大なお菓子用の厨房を見せているのも特徴。噂ではこの付近一帯、ここのお菓子で成功した経営者の土地だという。





※デリー/バラナシ周辺で車のチャーターをご希望の方はメール下さい。
良い業者を紹介できます。
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インドの冷菓子

アジアハンターは現在、北インドに居ます。本来雨が降るべき雨季にもかかわらず、デリーは全く降雨がないためこの上なく蒸し暑く、非常にハードな日々を送っています。
さて、そんな暑気を払う類の冷たく甘いデザート系がインドにもあり、じっとりと汗ばみ疲れた体がかろうじて回復する気がします。

ラブリーという名の冷菓子。外面を氷で冷やしたアルミのボウルに入れたミルク素材を激しく撹拌したもの。冷たくドロリとした食感。







オールドデリーのジャンマーマスジッド周辺には店舗/屋台問わずムスリム系の食べ物屋・お菓子屋が多い。よく冷えたラスマライなども美味しい。



バーダムミルク。こちらも冷えていて行列が出来ている。





ベンガル語でミシュティ・ドイと呼ばれる甘いカード(ヨーグルト)。
冷え菓子ではないが冷暗所に置かれているので程よく冷たい。病み付きになる味。
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2012年04月09日

花見カレー

訳あってインド・オリッサ州出身者ファミリーと花見を共にする事となった。
彼らは純粋な菜食主義者ではないが、花見の当日は信仰するヒンドゥー教教義にのっとり肉食していけない日と定められているため、桜の下で食すのは全て菜食料理である。



メインのヒヨコ豆とジャガイモの入ったカレーは「ググニ」と呼ばれる、オリッサではポピュラーなカレーだそうだ。また「ググニ」も含めて、主食とともに食べるグレービー状の副食を「タルカリ」と呼んでいる。(例…おかわりする際、ご飯をついだ皿を示して「タルカリかけてくれ」と言っている)これはネパールやベンガルでも同様だがデリーなどの北・西インドでは聞かない言い方なのではないだろうか。たいてい「グレービーくれ」と言っている。

また写真にあるようにレモン・ライスも日常的に食べられているそうである。



まだ肌寒い春四月、チャパティーは冷えていたがスパイシーなカレーが体温を上昇させる。
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2011年10月11日

アンナー・ハザーレー旋風

今年8月末にインド仕入れに行った際、インド全土でアンナ・ハザーレー旋風が吹き荒れていた。行く前にネットや一般紙に出ていたので名前と顔ぐらいは記憶していたが、その風貌といい行動といい熱心なガンディー主義者が居るんだ、程度の認識しかなかった。現代政治に対するアンチテーゼとして復古主義的な主張を世に問うタイプの政治活動はインドでは決して珍しくないし、ガンディーのような実在の人物ならまだしも、ヒンドゥー教神話上の神々の行った政治を理想とする政党すらあるほどだ。だからインドに行く前は全くアンナ・ハザーレーに対して意識する事は無かった。

さて、今回のインドの仕入れ旅のルートはチェンナイin のデリーoutというコースだった。チェンナイの問屋街に居た時、バザールの奥の方からシュプレヒコールが聞こえてきた。それがアンナ・ハザーレーに対する支持表明な事はすぐに分かった。



↑チェンナイの問屋街を練り歩くデモの人たち

そのときはそうしたアンナ・ハザーレーの運動が南インドにまで拡大している事が意外だった。というのもこうした政治活動は政治の街デリーでのみ、小さく行われているものだと思い込んでいたので。チェンナイでのデモの規模は大きく、決して暴力的な雰囲気は無かったものの、インドでニュースなどを見るにつけ、チェンナイでこれ程盛り上がっているのだからデリーではどうなんだろう?とやや不安になった。何でもアンナ・ハザーレーが政府に対して汚職のディスクローズを求め、8月末を回答期限としてハンストに入っているという。






↑マイダーン前には多くの報道関係の車で埋め尽くされていた。

この動きに対してインド全土で多くの人々が賛同し、『我こそはアンナーである(main Anna hai)』と横書きされたネルー帽を被って各地でデモが繰り広げられていた。私としてはそんな渦中にインドに着いてしまったわけで、中にはデモの被害を恐れて営業停止するバザールがあったり、自主的に抗議のバンド(スト)する商店街もあったりと、短期間の仕入れ仕事にモロに影響が出そうな雰囲気に不安を感じざるを得なかった。アンナ・ハザーレーがハンストしているマイダーン(広場)には続々と群集がインド全土から押し寄せ、さらには各分野の著名人・有名人がアンナの前で思い思いのアジテーションを行っている。有名なタミル俳優ヴィジャイがいち早く支持表明しデリーまで来て演説し、さらにボリウッド系ではオーム・プリーやアーミル・カーンといった人たちが大衆の前で演説し喝采を浴びていた。彼らはともかくKiran BediやBJPのNitin Gadkariのようなきな臭い人たちも登壇していた。またテレビで見ていると日に日にアンナ・ハザーレーは痩せていき、断食のダイエット効果について改めて考えさせられた。


↑デモ隊はすべからくインド国旗を手にし、ネルー帽を被っている。
路上生活者たちがそれらを結構な額で販売していた。

とは言え、インドに於いてすべからくこの手のニュースがそうであるように、あたかもインド全土がストにでも入るといった過熱した報道がなされていながら、実はその地域は一部に限定され、他の圧倒的大部分の場所では平穏に日常生活が営まれているし、大多数の人々は「何かやっているみたいだね」程度の認識しかない。従って心配したようなデリーでの問屋での仕入れも何事も無くいつもどおり無事終了した。ちょうどその頃、要求が通ってアンナのハンストも終了したようだった。

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2010年08月21日

牛の小便

アジアハンターには北インドに常駐しているインド人スタッフが居ます。彼とは約20年来のつきあいで、個人的に繋がりのあるインド人の中でも最も古く、それだけ信頼もしています。

そんな彼が去年あたりから原因不明の皮膚病に侵された。体のいたるところ水ぶくれのように膨れ、痒くて夜も眠れず、さらには掻いた所が化膿するという。デリーのAIIMSという有名な大病院で診察も受けたがインドの最新の医療技術を持ってしても原因が分からなかったという。ただその際、担当の医者に西洋医学の処方薬では一生のみ続けなければならないようなものしか無い。アーユルヴェーダ薬を使うように。と指示されたという。そこで様々なアーユルヴェーダ薬を試し、現在ではほぼ完治するまでに至った。

彼が継続して使っているといういくつかのアーユルヴェーダ薬を見せてもらったが、その中ににわかに信じがたいものが含まれていた。



『ゴーダン』と書かれている。これは濾過した子牛の小便だという。これをスプーン一杯、毎朝飲むのだそうだ。牛の小便は殺菌効果があってアフリカでは体に塗る、という話しはかつて聞いたことがあるが、飲用するとは。牛を神聖視する習慣の無い国民にとってなかなか抵抗を感じる薬である。
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2010年05月31日

CNCアランゲトラム

いつもお世話になっているインド舞踊CNCさんからご依頼をいただき、バラタに於けるいわゆる免許皆伝的な意味合いを持つ「アランゲトラム」を日本で行うにあたり、グルであるウマー・ラーオ先生および南インド古典ミュージシャンの方々の送迎・運搬などお手伝いさせていただいた。ウマー先生とは数年前の来日時もお手伝いさせていただいているので面識あるが、やはりインドの一流芸術家特有の崇高なオーラを漂わせているので、ついプラナームが自然と出てしまう。

アランゲトラムとはバラタナーティヤム舞踊家にとって最重要なイベントで、今回アランゲトラムを受けるCNCの皆さんはもちろん、代表の野火先生をはじめスタッフ・関係者の方々も期間中、大変緊迫した雰囲気。
私は主に車の運転担当だったので、なかなかステージそのものを見る機会は無かったが、裏の駐車場が使えたのでインド大使館のホールで行われたステージは見ることが出来た。改装後きれいになったインド大使館には一度だけイベント説明会で地下会議室に行ったことはあるが、ここのホールは初めて入った。このようなきれいで立派なホールが出来ていようとは。以前の薄暗くて狭いイベントスペースと比べようもない程の、正に躍進するインド経済を象徴するかのようなホールだ。



↑ウマー先生によるナヴァ・ラサのデモンストレーション。
インド古典舞踊に於いて最も重要とされるナヴァ・ラサを熱心に解説された。


↑甘くたおやかなハリプラサード氏(中央)による古典ボーカル。
とても三人だけで構成しているとは思えない重厚かつ神秘的な音楽が展開される。


↑白熱したステージ・パフォーマンスを魅せたCNCの古典舞踊の方々。
久しぶりに迫力のある古典ステージを堪能しました。

ステージでは神々しく見えるミュージシャンたちも、近くで接すると皆さん大変気さくな方たちで、ボーカルのハリプラサード氏など車の助手席でカーステにあわせて鼻歌を歌ったりといった、贅沢なひと時を体験する事も出来た。





こうした緊迫したアランゲトラムの一週間をつつがなく成功裏に終了させた記念の打ち上げが新宿のマハラジャで昨夜行われた。アランゲトラムを得たCNCの皆様おめでとうございました。


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2009年09月01日

ガネーシャ・チャトルティーvol.2

09年8月29日、葛西公民館にて在日マラティー人の親睦会である Tokyo Marathi Mandal 主催によるガネーシャ・チャトルティーが開催された。



葛西公民館4Fホールでは立地的にこれまでもいくつかインド人主催のイベントなどに利用されてきた場所である。イベント手伝いなどで何度も訪れている場所だが、この日は衆院選ラス前日で、不在者投票最終日でもあり投票所が2Fとなっていたのでイベント目当てのインド系に加えて大勢の選挙民も会場に来ていたため正面玄関などは人でごった返していた。


イベント会場を見ると大きなホール会場となっている。
ここでのイベントは午後15時ごろより始まり、本場マハーラーシュトラ州から有名な男性バジャン歌手がこの日のために招聘されたという。残念ながら会場に行った時は既に歌は終わっていたが、ステージにはその時に使用したハルモニウムとタブラーが残っていた。


壇上に上がりプラナームをしてプラサードを頂く。
ガネーシャの好物の一つモーダクという甘スナック。



ビーショルジョン(神像の河流し儀礼/これによって神を天界に戻すとされる)はしないという。
ちょうどこの日は行徳で祭られていたガネーシャ・チャトゥルティーの最終日でもあり、こちらの方はヒンドゥーの教えにのっとりビーショルジョンまで行ったという。


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2009年08月26日

ガネーシャ・チャトルティーvol.1

『ガネーシャ・チャトゥルティーをやっているので来ませんか?』と先週の某日、行徳在住のインド人の知人から電話があった。彼はこのようなヒンドゥー教イベントに私が興味を持っている事を知っていて、わざわざ知らせてくれたのだった。

ガネーシャ・チャトゥルティー祭壇会場は行徳駅前の五階建て民間アパートの一室があてがわれていた。その民間アパートにはインド人居住者が多く、管理会社の好意で開いている部屋をイベント用に無償で貸し出しているという。管理会社としても顧客の多くがインド系なので、こうしたサービス提供によって宣伝効果も狙える訳である。

入り口ドアは開放されていて誰でも入れるようになっている。

入ってすぐの所に↑のような手書きの看板が掲げられている。
そこにはグループ名としてTOKYO MITRA MANDALと記載されている。以前から日本で活動しているマラティー人のグループでTOKYO MARATHI MANDALという組織は知っていたが、TOKYO MITRA MANDALとは初めて聞く名前だ。(ちなみにTOKYO MARATHI MANDALによるガネーシャチャトゥルティーは8月29日に葛西公民館にて開催される)飽和したマラティー人が独自にガネーシャチャトゥルティーを祝うべく作った組織なのだろうかと思ったが、そうではなく、ガネーシャはマラティー人以外にもAP州、UP州など多くの地域で信仰されており、そうしたマラティー出身者以外のインド人もガネーシャ祭りに参加したい、しかしTOKYO MARATHI MANDALは在日マラティー出身者コミュニティーであるため、AP州、UP州などの出身者でもガネーシャ祭りを祝うべく2008年、結成したのがTOKYO MITRA MANDALという訳なのだった。


部屋に入ると祭壇には小さなガネーシャ像が鎮座している。祭りの始まる8月23日から祭りの終わる8月29日まで日々、プージャは日に二度、欠かさず捧げられる。これはインドでのやり方を忠実に踏襲したものである。最終日の8月29日にはプージャリーによる読経の後、ビーショルジョン(神像の河流しの儀礼)を行うという。ビーショルジョンは多くのヒンドゥー祭礼にとって重要な儀式だが、果たして日本で神像を河に流しても大丈夫なのだろうか。


TOKYO MITRA MANDALの方々。
08年に有志4人でスタートした。純粋にガネーシャの祭りを行うという目的のみで手弁当で活動をしている信仰心厚い人たちである。

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2009年04月28日

スラムドッグ・ミリオネア

先日、アカデミー賞8部門受賞で話題の『スラムドッグ・ミリオネア』を錦糸町東宝で見てきた。これほど前評判の高いインド系映画も少ないので、期待に胸が膨らむ。


ストーリーはボンベイのスラム出身の兄弟が、互いに裏切ったり結びついたりしながら成長していく、主人公の成長には同じスラム出身の女の子との恋愛が絡む、そうしたシーンが主人公の回想として、出演するクイズ番組シーンの中で表現されつつ、最終的に2,000万ルピーを獲得するというストーリー。
ストーリーや展開、刺激的な映像など面白く確かに楽しめたが、果たしてアカデミー賞など錚々たる映画賞を受賞する程なのか、今ひとつ釈然としない気がした。全くの個人的印象だが、数年前、同様にアカデミー賞ノミネートされた『ラガーン』の方が数倍感動した。

釈然としない理由はこの作品の非現実的な舞台設定とキャラ設定で、舞台設定という事で言えばまず、この映画全編通して基調となっている「クイズ・ミリオネア」は、日本同様インドでも2000年からテレビ放映され、社会現象化する程の物凄いブームを引き起こした。司会のアミターブ・バッチャンの番組中の台詞「(答えを)ロックしますよ」が流行語になったり、「一昔前の俳優」になりつつあったアミターブ自身の人気が再燃したりした。また同様のインド版クイズ番組が多く作られ、ゴーヴィンダーやアヌパム・ケールといったおしゃべりでコミカルと目された俳優たちが司会に起用された。(とは言え皆アミターブ程の司会上手ではなかったためどの番組も短命に終わった)周囲のインド人たちは(番組に出演しようと)いつも電話しているが繋がらない…と言っていた。こうした一連の動きはリアルタイムでインドに滞在していたのでよく分かる。

この映画のキャラ設定だが、まず社会構造的にスラム出身者がインドのテレビ、とりわけこうした人気クイズ番組に出演する事などありえない。実際のクイズ番組でもスラム出身者では当然無いが、あまり英語が喋れず社会的地位も高くない地方出身者が番組に出場したとき、アミターブは非常にやりずらそうにしていた。またインドでは英語はインテリ語なのでスラム出身者が英語でやり取りをしている事自体、非常に無理を感じる。ボンベイのマフィアやスラムを題材にしたインド映画は非常に多く、描き方などもこの『スラムドッグ』よりももっとどぎつくえげつないものが多いが、そうしたシーンで使用される言語は訛りのきついヒンディー・スラングであり、如何に汚い言葉を自然に回せるかでその俳優の技量が問われるという面がある。アーミル・カーンのような台詞回しの上手い役者やサンジャイ・ダットのような生き方そのものがアンダーグラウンドな俳優たちはここで聴衆の喝采と野卑な笑いを得るのである。逆に解りやす過ぎて多用されない手法だが、社会的地位の高さを表現するために台詞に英語を混ぜる場合もある。つまり英語の台詞とはインド映画にとってそのような存在なのであり、そういう固定概念が染み付いている者としては「スラムの犬」が英語を話すという不自然さが結局ラストまで払拭出来なかった。
あとあんまり関係ないが、予告で使われているThe Ting Tingsの「Great DJ」が劇中使われていなかったのが少し残念だった。
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2009年02月16日

公団のコーラム

撮影場所:江戸川区の公団
備考:コーラムと呼ばれる、主に南インド・タミル地方などに於いて、米粉などを使って女性の手によって玄関前の床に描かれる吉祥の印。インドの伝統文化を外国に於いてもきちんと継承しているのが大変興味深い。※ステッカー状になったものはコチラで販売しています。これが後に発展して密教に於けるマンダラ画の起源となったという。




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2009年02月03日

サラスヴァティ・プージャ

09年1月31日、首都圏在住のベンガル人グループによってサラスヴァティ・プージャが大田区のホールにて厳かに執り行なわれた。
 

 

↑サラスヴァティ女神が祀られた祭壇。
 
サラスヴァティ・プジャとは…
他地域(特に北インド)に於いてヴァサンタ・パンチャミーが祝われるこの日、 ベンガル地方では学問と技芸の女神サラスヴァティー (本来のベンガル語では『ショロショッティ』と発音)のプージャーが行われる。 ベンガルの中心地カルカッタで最も盛んでドゥルガ・プジャ程の規模ではないものの、 街の辻などにパンダル(仮設神殿)が設えられ、クマールトゥリなどの工房街では 各町内ごとに発注されたサラスヴァティー女神像がその中に鎮座し、 プージャが捧げられる風景が見られる。女性によるウル(裏声での歓喜表現)や 法螺貝での勧請儀礼、司祭のマントラによる壷への降臨、河流しの儀礼(天界帰還)など、 祭礼の手順としては大祭ドゥルガ・プジャの縮小版として見ることが出来るので、 ドゥルガ・プジャを見るチャンスの無い人には興味深いかも知れない。
 
在日ベンガル人間で行われるサラスヴァティ・プジャも、規模としてはドゥルガ・プジャほどの 盛り上がりは無く、集まる人も比較的少ない。また、リーマンショック以降インド系ワーカーも 帰国する人が増え全般的にインド人人口も減りつつある昨今だが、それでもこの日100人以上は参加したようである。

 

↑広尾にあるPujaが参拝用の食事担当として参加。
日ごろ北インド系の濃厚な味わいの同店も、儀礼用の食事のためあっさりとした
キチュリと豆・ジャガイモなどのカレーを用意。
 

↑今回、西葛西Spice Masic Calcuttaも参加していた。
ハレの日のベンガル人には欠かせないスイーツを販売。
 
 

またCalcuttaはゴールガッパの簡易台も持参。

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2008年12月19日

ケーララ料理

昨日、ケーララ州トリバンドラム出身のある方と少ししゃべる機会があったので、長年疑問に思っていた事を質問してみた。それは、もう20年近く前に初めて訪れたケーララで食べた牛肉についてである。一般的に南インド料理とは菜食のイメージが強いのに、私が食べたアレは一体何だったのか?その後、ケーララ州を訪れる機会が全く無いままその疑問自体も忘れていた。
その答えは、その人曰くケーララの三割はキリスト教徒、三割はムスリムで合計すると人口の六割は牛肉をタブーとしないヒンドゥー教徒以外になる。ここではヒンドゥー教徒はむしろ少数派で、これがおおっぴらに牛肉料理屋がケーララに存在する理由である、との事である。最近ではヒンドゥー教の宗教的拘束力も薄まり、若いヒンドゥー教徒などには牛肉を食す経験をする者も少なくないらしく、実際、その話しをしていた若いIT系の彼も来日前に既にケーララにて牛肉を賞味済みだという。

ちなみにケーララで牛肉を食べた際、主食として食べたのがプットゥPuttuという筒状の蒸した米粉で、これもケーララ以外の地では見た事がないもので、大変美味しいものだった。尚、ネットなどで写真検索するとプットゥを作るには専用の調理器具があることが分かる。
同様にケーララ産の米粉を使った主食として他の地域で見ないものとしてイディヤッパム(Idiappam)というものがある。蒸した米粉をムルクメーカーで押し出したもので見た目は日本のそうめんに似ている。

↑アジアハンターでは『ムルクメーカー』も販売しています。
(定価: 2,500円) 

イディヤッパムの「アッパム」とはマラーヤラム語で『蒸した米粉』を意味するという。マラーヤラム語はタミル語と非常に近く、マラーヤラム語でこれは何ですか?をイディ・エンダ?と言うがタミル語ではイディ・エンナ?という。大半のケーララの人たちはタミル語を理解するので『マラーヤラム語が出来なくても大丈夫。タミル語が分かればケーララ州の観光は問題ありませんよ』と彼は言うがそのタミル語が分からない。

その他山間丘陵地帯の多いケーララ州はスパイス生産地としても有名で、多くのインド産スパイスはケーララ産であるという。コショーの産地としては知っていたが、カルダモンその他の香辛料なども生産高インド随一であるそうである。 輸出用としてコーヒーの生産も多い。
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2008年11月27日

『未来を写した子供たち』

売春街で生まれ育った子供たちにコンパクト・カメラを与え、撮らせた写真を公開する事で基金を集めその子供たちの教育資金にしようとする女性を追ったドキュメンタリーで、2004年にアカデミー賞(長編ドキュメンタリー賞)を受賞している作品。昨日、私は銀座まで自転車こいで観に行った。


インド最大の赤線地帯として有名なボンベイのカマティプラと並ぶ、カルカッタのソナガチが舞台。カマティプラにしろソナガチにしろある種の極限性を象徴する場所なので、例えばタージマハルが観光客を魅了してやまないのと同様、カメラマンやジャーナリストといった人々にとって昔から被写体としての磁力が強い聖地であり、この映画の製作者であるザナ・ブリスキ氏もそのタイプの一人である。彼女はソナガチに住んでいる。
彼女が子供にカメラを与えたのは、それによってもたらされる既成の写真家には無い視野の獲得を当初は狙ったのではないだろうか。しかし子供たちによって撮影された数多くの素晴らしい写真を前に、それを資金に教育資金をと海外での展示販売イベントの開催を行う。子供の中の一人は写真団体の招聘によってオランダに研修旅行まで果たす。
子供を海外に送るためのパスポートの獲得や、資金を得たのちも売春街育ちという理由によって拒絶する私立学校の壁の厚さなどのインドならではの困難が執拗に描かれる一方、海外での写真展開催に至る経緯・インド内外のマスコミにPRした経緯は省かれていて、そちらの方は比較的容易にクリア出来たかのような印象を受けた。

少年の撮った写真の中に、ゴミだらけの中、皿からこぼれたカレーの付いた米と薄汚れたサンダルが並んで写しているものがあり、正にカルカッタの汚濁を象徴しているような写真だった。少年のセリフに 『ここ(カルカッタ)はとても汚い。田舎はきれいだ』 というのがあったが、実際ベンガルの田舎は美しい。それは生活に不要なものは存在しないという種の美しさである。一度そういう生活を美しいものとして知ってしまうと、都会がとても汚れた場所のように感じられてしまう。

このドキュメンタリーの撮影時期(2000年ごろ)に流行していたMohabattainの中の『Aankhen Khuli』が通りすがりの風景として使用されているだけでなく劇中挿入歌として使用されていた。この曲を映画館の暗闇の中で聞くと当時のインドを懐かしく感じてしまい、久しぶりにインド映画が見たくなった。

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2008年09月23日

New Delhi Rajdhani Restaurant

数日前、インド仕入より帰国し、本日送った荷物も無事通関終了しました。
期間中、商品リクエストなど多くいただきましてありがとうございました。
諸事情により、リクエストにお応え出来なかったお客様には大変、ご迷惑おかけいたしました。

今回のインド仕入れはいつも行く南インドには行かず、デリーのみの短期滞在でした。
この期間中、デリーで無差別爆弾テロが発生し、正に数十分の差で事故現場に居たため、背筋の凍りつく思いがした。日曜の繁華街を狙った悪質なもので、インド国内の報道は連日生々しい事故現場や被害者の姿を過激に映し出していた。

それよりデリーに着いた10日、インドの人々の噂になっていたのがスイス・フランス国境の地下で行われる『ビッグバン実験』の事で、迎えに来たインドの友人も
「見ろ、明日で地球が破壊されて全てが終わる」
と神妙な面持ちで言った。実際、テレビでも『木曜スペシャル』風の番組がCGなど駆使してまことしやかに不安をあおっていた。その割には一年ぶりのインド庶民は相変わらずな印象だったが、後日ネットを見たらこの恐怖から自殺者も出たようである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080911-00000021-reu-int

昔、デリーで生活していた頃、猿男が出現し、夜な夜な人を襲うという冗談のようなニュースが新聞やテレビを賑わせた事があったが、インドの蒸し暑く寝苦しい夜、そんな非現実的な馬鹿げたニュースが妙なリアリティーを持って迫ってきたのを思い出した。

さて、暑いインドで仕入れの最中、一番の楽しみは『食』である。そのめくるめく食ワールドに既に何度も足を運んでいるコンノートのRajdhaniに今回も二度、訪れた。




ここは主要都市などインド全土にチェーン展開する西インド料理のレストランで、いつも客でにぎわっている。門番にドアを開けてもらい、店に入るとまず額に祝福のアーシルワードをつけてもらう。この店はこのためだけに一人雇っている。


席に着くと、既にテーブルには直径44cmの大きなタールと6個のカトリが置かれている。
サブジー(おかず)などは日替わりの、純粋な西インド・ターリーのみのメニューである。入れ替わり立ち代り、様々なサーバーに入れたサブジーやロッティをよそってくれるシステムで、言わば食べ放題である。西インドらしく、全てのメニューは菜食で、
中にはグジャラート風の甘いカレーも含まれる。



尚、サーブしている模様を一部動画撮影したので興味ある向きは↓をご覧下さい。
食べる手で撮っているため、撮影時間はごくわずかです。

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2008年08月27日

踊るヨガ!インド舞踊で体の内側から美人になる

インド舞踊家・野火杏子さんが監修した
踊るヨガ!インド舞踊で体の内側から美人になる
が発売されました。


既刊のインド舞踊関連書籍(日本語)自体、希少ですが、オールカラーで様々なポーズが細かく写真で紹介されており、ここ数年ようやく本国のインドでも販売されるようになったインド舞踊入門書にひけをとらない充実した内容です。しかもDVD付き。
同書にもご紹介いただきました書籍・CDなどこちらのページにて販売してています。
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2007年04月07日

インドチャンネル

インド専門の『インドチャンネル』というポータルサイトがOPENしました。
http://www.indochannel.jp/

多岐に渡る項目が、それぞれ丹念かつ詳細に記述されています。特にビジネスに関する項目が詳しく、今後インドで起業を考えている方には大変参考になるのではと思われます。今後の展開に期待大です。

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2006年09月13日

ガネーシャ・チャトゥルティーvol.2

『ガネーシャ・チャトゥルティー』祭の起源はヒンドゥー神話・伝承に由来する家庭祭事だが、現在のような形で開始されたのは比較的最近になってからで、その実態は今世紀初頭活躍した反英運動家・ティラク(※)民族意識の高揚のために政治的に企画されたイベントである。



B.G.ティラク(BalGangadharTilak/1856〜1920)は20世紀初頭のインド・民族独立運動の中で最大の指導者とされる。プーナ出身であり、マラティー語機関紙「ケーサリー(獅子)」によってその急進的民族主義思想を展開、当然イギリスによって弾圧され、6年間に渡りビルマで獄中生活を送った。釈放後渡英し、イギリス世論にインド自治要求を訴えた。

大衆的祭事としてのガネーシャ・チャトルティーは、このティラクによる、反英民族主義を大衆レベルで展開させることを目的として開始された民族意識高揚イベントである。
とは言えそもそもの出自がそうであるからといって、現在において祭が政治的利用されるといったことはなく、一般的な意味合いにおける祭の意義を遂行する形で執り行なわれている。つまり一つの神格を共有することによって生じる宗教的、地域的結束の確認と強化、あるいは神格を崇拝することによって得られる利益や効果の約束である。

祭の進行は家庭内祭事を踏襲する形となっている。一定の範囲に居を同じくするヒンドゥーの人々、つまり町内会的な結合が一つのガネーシャ神像及びそれを祭るマンダパ(仮設神殿)を共有する。この結合を通常マンダル、あるいはサルホジャニック・ガネーシャストと呼ぶ。後者は「みんなのガネーシャの集まり」という意味である。
このマンダルにそれぞれの居住者より寄付金が集められて神像の購入、マンダパの設置などがなされる。マンダパ上の装飾は神話の一場面を再現したものや、大きなシヴァ神、ガウリー女神をかたどったものなどが中心であるが、そこには厳密な決まりはなく、単に見た目が美しいだけのデザインであることもある。

家庭内祭事との一番の相違点は神格が降臨している期間である。
上記のように、その期間は各家庭によって違うが、大衆的祭事における降臨期間は10日間である。最終日はやはり家庭内祭事と同様にヴィショルジョンする。ただもちろん、神像を共有している人々の数が多くなるため当然、その規模も大きくなる。特にボンベイのヴィショルジョンは人口が多いので非常に大規模で見ごたえがある。
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2006年08月28日

ガネーシャ・チャトゥルティー vol.1

今年06年8月27日は『ガネーシャ・チャトゥルティー』と呼ばれる、富と学問の神ガネーシャの祭りが開始され、地方差や執り行なう家族・社会での差によってまちまちだが基本的には第14日までの10日間、つまり西暦上は06年9月5日まで続く(この最終日にビーショルジョンと呼ばれる神像の河流し儀礼をもって終了する)。

ガネーシャは現世利益的な性格を持つことから全インド的に支持され、祭りも各地で行われるが、その信仰の中心地であるマハーラーシュトラ州、特にプーナで盛ん。元来のガネーシャ信仰はおそらくこの地方で熱心だった象信仰、動物崇拝のヒンドゥー化(シヴァの息子として吸収合併)である。
『ガネーシャ・チャトゥルティー』の「チャトルティー」とは、黒分・白分を問わずヒンドゥー歴の第4日を意味する。ヒンドゥー暦では それぞれの日を特定の神に同定させていて、各月第4日をガネーシャの日としてい る。従って各月第4日は敬虔なヒンドゥー教徒であればガネーシャのプージャ(儀礼 )をする日となっている。ヒンドゥー暦の各月は満月始まりの黒分と新月始まりの白 分というそれぞれおよそ15日づつに分かれている。インド占星術によって各日はそ れぞれその性格を特徴づけられているが、うち黒分第4日は「災いの第4日」とも呼 ばれ、何かをはじめるにはふさわしくない不吉な日だとされている。



富の繁栄や学問を司ったりと、いくつもの役割を持つガネーシャの霊験のうちの一つに、『障害を取り除く力』がある。つまり厄除けの力があるということである。(ガネーシャの別名はヴィナーヤクといい、「障害を取り除くもの」という意味である)儀礼の場合、他の神を拝む前にまずガネーシャを拝む。これはマハーラーシュトラ州に限ったことではなく、広く全インドに渡って言えることである。また仕事、学問から芸事に至るまで、とにかく一番はじめに拝まれるのがガネーシャなのである。映画の中にも、ストーリーがはじまる前、一番初めにガネーシャ像の映像が流れるものもある。これもまたその伝統を踏襲しているのである。
尚、ヒンディー語のことわざに「シュリ・ガネーシャ・カルナー」というものがある。「聖ガネーシャする」といった意味で、その心は「何かをはじめる」ということである。ガネーシャを拝めばマイナス要因が払拭される。そのことが、黒分第4日、すなわち「災いの第4日」をガネーシャを祭る日に定めてとりわけ重視している所以である。
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2006年08月04日

カルカッタ(コルカタ)の人力車

今回カルカッタ滞在したので久しぶりに人力車を味わうことが出来た。
特に訪れた時期が雨季であったため、水はけの悪い街の至る所冠水しており、こうした箇所では人力車は必須の交通手段である事が再認識させられた。


■カルカッタの人力車概略 
イギリスによるインド統治(British Raj)以降、インドの主要各都市に広まったリキシャーは、おそらく現在インド全域で見られる自転車(サイカル)リキシャーではなく、そのよりプリミティブなスタイルの『手で引く式』、つまり人力車タイプであったであろう事は容易に想像がつく。 日本が発祥の地といわれ、今尚鎌倉などの観光地で観光客向けに営業してはいるものの、生活の足として人力車が未だ健在である街はインドは元より世界広しといえど、私の知る限りに於いておそらくカルカッタ(=現コルカタ)が唯一無二だと思われる。

但しそのカルカッタといえども、1999年以降人力車の新規台数登録を停止するに至った。その理由は交通渋滞の解消である。カルカッタ市は着工から20有余年かけてインド初で今の所唯一のメトロ(地下鉄)を全線開通させたが、それも渋滞解消が主目的の一つだったと言われている。しかし市内を歩く限り、手押し車や牛車なども依然健在であり、人力車の撤廃が即座に渋滞解消に繋がる事に関しては首を傾げざるを得ない。

■カルカッタの人力車---資本の流れ
カルカッタに於ける人力車業界の資本の流れは、おおまかに以下の図で表すことが出来る。

@中間管理オーナーから本来のオーナーへ:表に出てこないので一体どんな人物が本オーナーなのか定かではないが、政府・警察関係者などの資本家・権力者(ブルジョアジー)である事は確かである。ちなみにカルカッタのあるウエスト・ベンガル州政権はマルクス主義を標榜するインド共産党(CPIM)の長期政権支配地である。

Aリキシャー・ワーラーから中間管理オーナーへ:例えば人力車が通行止め・一通の逆走や、その他賄賂といった『警察に払う』みかじめ料、州政府に払う税金、車検代などは全て中間管理オーナーによって支払われるらしい。従って、表面的な取り分としては本来のオーナーよりも中間オーナーの方が多額だが、手取りでは微々たるものらしい。

Bリキシャー・ワーラーから警察へ:場所にもよるが、例えば有名な安宿街であるサダル・ストリートやツナガチ(ソーナガチ)といった売春エリアに人力車を常駐させる場合、管轄する警察にショバ代として一日約20Rs支払わなければならない。

C客からリキシャー・ワーラーへ:日銭にして1日約50〜150Rs懐に入る。この内中間管理オーナーに対して1日約20Rs支払われる。上の通り、場所によっては警察にもショバ代が支払われる。 また季節にも大きく左右される。映画『City of Joy』にもあったが、雨季の道路が水浸し(カルカッタの水はけは極端に悪い)になった時が一番の稼ぎ時。また外国人観光客をゲスト・ハウスに、男性客を売春屋に連れて行った時にもらうバックマージンも重要な収入源である。

■中間管理オーナー(雇われオーナー)
実質的に人力車を所有している本オーナー(本来のオーナー)の本職は、例えば政府・警察関係者などが主である。そうした本オーナーが現場に現れることはまず無く、代わって実際に人力車やリキシャー・ワーラーの管理代行をしている人間を仲介させている。つまり本オーナーとリキシャー・ワーラーの間に中間管理オーナー(雇われオーナー)が介在するのである。 カースト職業観の根強いインドでは、こうした雇われオーナー職も世襲であるケースが殆どである。私が訪ねた某修理工場に居た若オーナーも祖父の代から雇われオーナーで、約70年に渡って代々雇われオーナー職を受け継いできたそうだ。 経験の浅い若オーナーは、どうやら古顔のリキシャー・ワーラーに頭が上がらないらしく、雑談中も何人かのリキシャー・ワーラーから鋭いツッコミを入れられてタジタジだった。こうした風景は日本の建築現場に於ける若い現場監督とベテランの大工の関係を想起させ、微笑ましい一コマである。 尚、彼ら雇われオーナーと本オーナーとは仕事上の関係以外、一切無関係ということだ。 ちなみに、かつて(50〜60年代/雇われオーナーの祖父・父の代)は景気がよかったが、次第に実入りも悪くなり、とりわけ90年代以降景気は悪くなる一方だという。自転車リキシャーも市内中心部では見かけず、他に競合相手も存在しないように思えるが、市内細部までバス(カルカッタのバスは小さい)路線が行き渡っている所為だろうか?


■諸手続き/諸経費
車検は年に一度、必ず受けなければならない。車検に通ったかどうかは座席後部に付いてあるプレートの番号をチェックすることで判明する。車検に通った人力車は新しい番号に書き換えられるからである。 この車検にかかる費用が1700〜1800Rs。 また、3月〜9月の間及び9月〜3月の間、年2回、それぞれ25Rsづつ、合計50Rsの車両税をウエスト・ベンガル州政府に支払わなくてはならない。ウエスト・ベンガル州政府とは市内中央部に位置するBBDバーグにあるHackney Carriage Department(警察管轄)である。人力車所有の許可証もここが発行している。 参考:カルカッタ市の交通警察連絡先一覧 こうした諸費用は大半が雇われオーナーから支払われるそうである。 雇われオーナーの話しによると、人力車の製造代金は5000Rs(約15000円)、製作に要する時間は2日である。彼の元を訪ねたとあるアメリカ人が一台購入し、国に持って帰ったそうである。 尚、上に書いた通り、ウエスト・ベンガル州政府は1999年以降人力車の新規台数登録を停止しているものの、既得の許可証の効力は生きている。従って許可証を持っていれば永続的に人力車を所有することも出来るし、また新規生産をすることも可能である。このため許可証は裏では高値で売買されているという。 また、現在も約6000台の人力車がカルカッタ市内で営業中だという。つまり6000枚の許可証が存在する、ということである。

■レート
実際、カルカッタ市内、特に定宿としているサダル・ストリート周辺は非常に交通の便が良く、実際に人力車に乗ってどこから出かけた、という経験もそれ程多くはありません。またタクシーやオート・リキシャーと違い基本的に交渉によってレートを決めるため、正確に幾らということは出来ません。また上述の通りシーズン差もあります。 一つの例として、ある秋晴れの日、サダルからインディアン・エアーの事務所に行ったことがあります。そこで支払った金額も定かではありませんが、20Rs前後だったのではないでしょうか。それ以上であればタクシーの方が安いからです。 市内移動はバス・タクシーが幅を利かせていますが、それでもそれら車両が入って行けない小道や路地、或いは雨季の増水した街中を疾走しようと思えば人力車に頼らざるを得ません。 薄暗く、水増しした裏路地に人の歩くスピードと程好いバイブレーションでいざなわれる時のと高ぶる興奮と若干の不安は、正にカルカッタ観光の醍醐味と言っても過言ではありません。

※今回撮影した人力車上の動画


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2006年08月03日

ラタ・ジャットラ

今回のインド滞在中の大きな祭りとして、ちょうどオリッサ州プリー(ジャガンナータ・プリー)で、ヒンドゥー暦(ヴィクラマーディティヤ暦)アーシャーダ月白2日に行われるラタ・ジャットラと重なる事が判った。しかし諸々の事情・仕事により、プリーとは目と鼻の先であるブバネーシュワルに当日居ながらも、祭りの様子はテレビと翌日の新聞でしか見ることが出来なかった。ブバネーシュワルに於いても祭りの雰囲気は多少なりとも味わえるものかと思っていたが、そうした事は全く無く、やはり祭りの中心地に赴く必然性を感じた。そのラタ・ジャットラとは以下のような祭りである。…

通常、ジャガンナート寺院に祀られているジャガンナート神・妹のスバドラー女神・弟のバラバドラという三体の本尊が雨期始めのこの時期、ラタ(山車)に乗せられ寺院より3km離れたグンディーチャー寺院までジャットラ(=ヒンディー語では『ヤットラ=旅・巡幸』を意味する)する祭り。基本的には雨季の到来を祝う祭りである。
オリッサ州で最も強く崇拝されているジャガンナート神の祭りであるため、巡幸当日には非常に多くの信者・巡礼が溢れる。祭りの2〜3ヶ月前にプリーの街を訪れると寺院前の大通りで多くの職人たちが巨大な山車の準備・修繕などしている風景を見る事が出来る。祭りが近づいている事を感じさせる一時である。中世、バクティ思想が流行した時代にはこの山車の車輪の下敷きになって死ぬことが解脱への早道であると考えられた事もあるという。

ジャガンナート神はオリッサ州で最も強く崇拝されている神格の一つ。
元来は同地方の土着信仰である木柱神信仰がヒンドゥー教に吸収〜展開される過程に於いて現在の形になったと考えられている。現在でもオリッサ〜ベンガルといった東インド諸地域では元来の部族文化という基層がヒンドゥー文化を凌駕する形で見られる場合があり、ジャガンナート信仰もその一つである。
現在でもオリッサ州に居住するコンド族の間では血の犠牲を求める豊穣の女神の依代として柱を崇拝・信仰している。ジャガンナート神も元来はこのような木柱神と考えられており、グプタ朝(紀元4〜5世紀)あたりにこの地に入り込んできたヴィシュヌ信仰の影響・支配により、ヴィシュヌのアヴァターラ(権化)の一つであるナラシンハと同一視されるようになった。尚、ヴィシュヌ系信仰はシヴァ系・タントラ(女神系)と異なりヴィシュヌを単独で崇拝する形ではなく、多くはラクシュミーといった女神を伴った形で崇拝される。従ってこのナラシンハと同一視されるようになったグプタ朝期は、現在のジャガンナートはナラシンハとラクシュミーという夫婦の形で信仰されていたと想像されている。



紀元10世紀頃、当時全インド的に影響を強めていたタントラ系思想の影響を受け、ナラシンハとして信仰されていたこの神格はヴィシュヌ系神格の中でもタントラ的・官能的性格を持つプルショーッタマという神格として信仰されるようになる。同地でのプルショーッタマ・ラクシュミー信仰はガンガ朝創始者であるチョーダガンガ王の帰依を得、現在のジャガンナート寺院となる寺院が建立されている。
ガンガ朝のアナンガビーマデーヴァ三世の時代(1211年〜1238年)に、第三の神格・バラバドラが付け加えられ、またプルショーッタマ神がジャガンナータ・クリシュナと同一視されるようになった。これは南インドのヴィシュヌ派の思想的影響(バクティ?)によるものであり、現在もその見方は変わっていない。つまり通常他の北インド諸地域でみられるいくつかのクリシュナ神像と著しく外見を異にしている理由は、そのようなバックグラウンドがあったためである。
アナンガビーマデーヴァ三世は自らを「ジャガンナートの代理人」という位置づけをし、後代の支配者たちも「ジャガンナートの代理人」という立場を王権維持のイデオロギー・呪的権威の源泉として継承していった。現在もプリー王の末裔は存在し、政治的権力こそ無いものの当地に一定の象徴的権力を持っているが、これも長年にわたる「ジャガンナートの代理人」といった王に備わるとされる呪的役割に依るものである。


↑今回のインド滞在中、バナーラスの街辻に顕れたジャガンナート神の祠。

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2006年03月28日

タミル語

先日の日中、たまたま神保町を通りかかったので、久しぶりにアジア文庫に立ち寄った。
ここはアジアに関心ある人ならば、一度は訪れるという昔から有名な本屋である。
立ち寄ったのは、最近使う機会が無く衰える一方のタイ語能力をブラッシュアップしたいと思い、当初市内の図書館などでCD付きのタイ語会話書を探したが、思わしいものが全く無かった。書籍などはネットで購入するようになって久しいが、語学書は値段が張る割には当たり外れが大きいので立ち読みして中身を確認しないことには怖くて手が出せない。一般書店ではアジア系書籍の在庫数が貧弱なため、どうしても専門のアジア文庫に行く必然性を感じていた所だった。さすがにたくさん種類があり、小一時間ほど立ち読みして厳選に比較検討し、意を決して会話書と辞書2冊選び抜いた。

アジア文庫に立ち寄ったもう一つの理由は、タイ語参考書の購入以外に『旅行人』の南インド特集号を購入することである。内容は「ディープサウスインディア」と銘打つだけあって非常に面白かった。
所で、ある必然性から昔のメモ帳をひっくり返してめくっていると、かつてチェンナイに行った折、暇に任せてタミル人から聞き書きで教えてもらったタミル語が出てきた。以下記しますが、カタカナ表記も聞いたものを、そのように聞こえたものを自己流で書き取っただけなので間違いもあるかも知れません。

こんにちは…ワナッカム
ありがとう…ナントリ
いくらですか?(値段)…(イディ)エヴォラ?
※イディ…「これ」、アディ…「アディ」
さようなら…ポイトワーレン
どのぐらい(How many)…エッタナイ
どのぐらい(How far)…エヴォラ・ドゥーラム?
どこ…エンゲ/例)ホテル・エンゲール・エルク?『ホテルはどこですか?』
これは何ですか?…イェンナ・イディ・ウン・ペエル・イェンナ?
How are you?…イエプリ・イルケ?
OK…アッチャー
Good…ナンラ・イルケ
No Good…ナンラ・イルレ

私は食事がしたい…エナック・サーパラ・ポーレン/ポーレン=「〜したい」
食…サーパラ
飲…クリケルド
寝…トゥンゲレン
起…イェンディグレ
見…パーカラディル
行…コーレン

私はタミル語が話せません…エナク・タミル・テリヤーデ(否定)
私はタミル語が話せます…エナク・タミル・テリヤム(肯定)

いつがスタートですか?…イェ・ポール・ポド・ポドム?
彼は誰ですか?…ヤール・イヴァル?/ヤール=誰/イヴァル=彼

尚、数年前シンガポールの南インド系映像ソフト会社のピラミッド社を訪問した際、
私が日本語字幕を作成した作品『Irvar』その他もアジアハンターでは販売しています。

■Iruvar■ □商品番号…DVD-8 □値段 2,980円

posted by asiahunter at 16:13| Comment(0) | ■インド文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月15日

ホーリー・ムバーラク

本日06年3月15日は北インド・ヒンドゥーを中心に祝われる『ホーリー』祭です。
(ヴィクラム暦チャイトラ月黒分第1日)
『ホーリー』祭は北インドで最も派手に行われる祭の一つ。
他の祭にも共通して言えることですが、特にこのホーリー祭の場合、混沌かつ性的放縦の傾向が強い。制約の多いインド社会ですが、この日ばかりは皆無礼講で、行き交うもの同士色粉や色水を掛け合うという、やや激しい祭りです。

頭から原色の色でとりどりとなった人々が水鉄砲片手に相手を探しながら街を闊歩している。
人だけでは飽き足らないのか、セブ牛などの動物も色粉だらけになっていたりする。
また外国人旅行者、特に女性はターゲットにされやすい。というのも色粉を体中に付けるという名目で、女性の体に触れられる滅多に無い機会だからで、これも性的放縦の一例である。

都市部では特にこの掛け合いが派手に行われ、さながら市街戦の様相を呈する。
水鉄砲などの使用はまだいい方で、家屋の屋上からバケツにたっぷり入った色水をぶっ掛けられることもある。お祭り騒ぎは年々エスカレートしていて、毎年、何人かの死傷者が翌日の新聞に掲載される。また近年、その色彩をさらに派手に強調するため、掛け合う色粉の中に人体に有害とされる化学物質を混入させている製造業者が増え、これらを規制する動きも出ている。

尚、こうしたインドの祭礼は年毎に変わります。
これは元来宗教行事がいわゆる旧暦と呼ばれる暦に従って行われるためで、
日常生活・仕事のスケジュールその他は世界標準となった西暦に合わせるが、
伝統的な祭礼・宗教儀礼は従来の宗教暦・旧暦で執り行う方がアジアでは一般的で、
正月などの宗教行事までも西暦に合わせてしまっている日本が例外的と言えます。

≫インドの祭礼・儀礼を知るために必要なヴィクラマーディティヤ暦(Vikramaditiya Sanna)が記載されたインド発行の06年カレンダーも弊社アジアハンターでは販売しています。
ヒンディー語カレンダー・2006年度版 商品番号…CL-1a


posted by asiahunter at 14:29| Comment(0) | ■インド文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする