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2017年04月10日

【ナマステ福岡への道 vol.10】沖縄ヒンドゥー寺院


到着翌朝、1985年に設立されたという沖縄ヒンドゥー寺院へ向かった。
毎週月曜はグル・グラントサーヒブなどスィク教グルへのバジャンを唱和している。実はこの月曜の集まりを見物するのが目当てでやや急いで沖縄inしたのだった。





ここに集まっているのは主に旧コザ市のゲート地区で衣料品販売しているスィンディー・パンジャビーの人々である。皆さんかなり高齢化している。バジャンの集まりは毎週あるが、年間に行われる行事で大きなものはディワリとスィンディー正月であるCheti Chandである。こうした時には料理も併設のキッチンで調理され出されるという。








 ↑撮影したバジャンの動画

現在の寺院が出来る以前の参拝や宗教儀礼はどうしていたかというと、有志4人で費用を出し合い1970年代は嘉手納の方で部屋を借りて祭壇を作ってそうした行事に当てていたという。

その後1985年にこのヒンドゥーマンディル(ヒンドゥー寺院)は、在沖縄スィンディーコミュニティー・メンバーやその他国内(横浜/神戸)のスィンディーコミュニティー、またインド各地のスィンディーコミュニティーからの寄付金などを募って設立された。元々は外国人向けの賃貸住宅であったものを買い取り、玄関の上に寺院らしくドームを施し、外装も北インドの寺院によくある肌色のペイントを施している。



集まっているスィンディー・パンジャビーという人たちは、多くは現在パキスタン領土内のハイデラバード出身である。信仰はスィク教を信仰していて、この日のバジャン(神様への献歌)もグル・ナーナクなどのスィク教の神に対するものだったが、あくまでヒンドゥーであり外見的にターバンや腕輪などスィク教徒を特徴付けるものは身に付けていない。

2002年に訪問した東京スィク寺院の様子
2015年に訪問した神戸スィク寺院の様子

彼らの多くは沖縄返還前に主に香港から渡って来た人たちである。最初から現在のような自営業ではなく、主に香港ベースのアパレル系企業が沖縄に支店を構えるのに伴い来日している。ちなみに当時の月給は35ドルだったらしい。それらのアパレル企業は撤退したり閉鎖したりするのに伴い店舗を構えて独立している。独立した時期は人によってまちまちだが沖縄返還後の70年代が多い。当時は対ドルレートも良く多くの従業員を雇っていたという。彼らの店の多くは旧コザ市のゲート地区に今もあるが、ここ数年はかなり景気が厳しいらしい。





集まっていた方々の名前を聞くとマノーハル・パンジャービーなどファミリー・ネームがパンジャビーという人がいる。パンジャーブ州の人にもそのような名前は無いのにスィンディーのスィク教信奉者がそのような家族名なのが興味深い。そしてまたスィク教信奉者でありながらヒンドゥー教徒でもあるらしい。こうした信仰の形態の人々に触れる機会が無かったので非常に新鮮だった。

彼らはまた来日当初の商売上、アメリカネームを持つ人が大半で、上記のマノーハル氏はマイク、シェーワク・キドワニ氏はサムといった具合だった。アメリカ人向けに呼びやすい名前にしないと仕事に差し障るらしい。


壁のインド地図を指し示しながら自らの出自などを丁寧に語ってくれたマノーハル氏

シェーワク氏の奥さんでバジャンの陣頭に立っていたラジャ二・キドワニさんのアメリカネームは無い。米兵相手のビジネス上のものだから専業主婦の妻にはアメリカネームは無い。



掲示板に貼られていた年間祭礼スケジュール



posted by asiahunter at 00:00| Comment(0) | ■在日インド系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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