2016年01月08日

バルセロナ市内のパンジャブ人による土産産業

バルセロナ市内にはお土産屋が無数にあるが、その大半はスペイン国籍を取得したスィンディー系インド人の所有で、店番にパンジャブ人(インド人パキスタン人双方)他が雇われている。
例えば有名なグエンパークの近くには大小4軒の点在するが全て同一のインド人オーナーによる経営。




スペインで製造された土産品は目立つ所にごくわずか置かれている以外は、民芸品の大半は中国製、地名や有名サッカーチームのロゴマーク入りのTシャツはバングラディシュ製でタグにもmade in Spainと記載しているという。






なぜスペインの土産をスペイン人が売らずにインド人が売っているのか?と聞くと、雑多な観光客の中には激しい値引き交渉したり、クレームを付けてきたりする悪質な客も多く、こうした仕事をスペイン人はやりたがらないからと言う。いずれにしても、他国に来てその国の土産ビジネスに参入する印僑パワーには圧倒される。

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2016年01月07日

バルセロナ最古のグルドワーラーSikh Gurudwara Gurudarshan Sahib ji

バルセロナの観光スポットの一つであるボケリア市場。



生鮮食材・野菜・果物などあらゆる食材は元より、それらを使った料理をワインなどと共に出すカウンター式のバルや食堂なども多い。イベリコ豚の生ハムやイカ墨のパエリアなどをアテにしてセルベッサ(生ビール)などがたまらない。昼間から陽気にワイワイ騒ぎながらワインなどを飲んでいる人々などを眺めながら、スペインに来た事を実感するひと時でもある。





そんな典型的なスペイン情緒あふれるボケリア市場の裏手一帯に
濃厚なインド人街が展開している。







インドレストランやインド系食材店、インド方面のチケットを手配する旅行代理店、中にはグラーブジャムーンやジャレビーを店頭に置いたミターイーの店まである。スペインまで来てインディアン・スイーツに出会えると思っていなかったので感動を覚える。尚、このJHELUMの店主さんはパキスタンのラホール出身。

















バルセロナにある4つのグルドワーラーの内、最古のグルドワーラーSikh Gurudwara Gurudarshan Sahib jiをインド人街散策中に偶然見つけて思わずドアをノック。平日昼間だったせいか人影はまばらである。奥の方から現れた司祭のRanjeet Singh氏に温かく招き入れていただき、参拝後にハルワのプラサードをいただいた。尚、海外のこうした施設で時々出くわすが、地元スペイン人らしい男性がターバンを被って参拝に来ていた。











平日昼間にもかかわらずポツポツと参拝に訪れる方々が少なくない。この周辺はパンジャーブ人人口が多くバルセロナ市内に約10〜15,000人は在住しているという。





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2016年01月06日

スペイン・グラナダのインド・パキスタンレストランMuglia

スペイン・グラナダでのランチはこの街でほぼ唯一のインド・パキスタンレストランのMugliaへ。
リスボンには無数にあったインド系レストランがグラナダに入った途端に激減し当惑する。
(のちに分かったが、スペインは主要都市部を除き移民に対して排他な政策を取っているらしい)

Mugliaという名称からしてこってりしたムガライ料理を連想させ、またインド・パキスタンと表記するのはほぼ100%パキスタン系移民であることが予測された。インド出身者が海外でインド料理店を営業するのにわざわざインド・パキスタンとは表記しないからである。また特に海外で見かけるムガライ料理店は内外装を重厚な、あるいはゴテゴテした装飾で飾りがちであり、かつ店内の光量を絞り薄暗い間接照明などを使いたがる特徴があるがこの店もまさに絵にかいたような典型的ムガライ料理店だった。





ここのオーナーのミルザ氏は単身パキスタンのラホールから91年にこの地に来て店を始めたという。



オーナーのミルザ氏。
若い頃からのスペイン滞在のためか、なかなか洗練されたファッションに身を包んでいる。



オーナーのミルザ氏とスタッフ。皆、パキスタンのラホール出身。



マトン・ビリヤニとチキンティッカ、チーズナン。
スペインに入って数回、パエリアや米料理を食べたが全て少し芯を残す炊き方だったので、ビリヤニもそうなのか気になっていたが、マトン共々大変柔らかかった。マサラやバスマティライスなどはマドリードやバルセロナのパキスタン業者から仕入れているという。



店内で飲酒も出来るのでハラールレストランではない。
注文したのはアルハンブラ・ビールというボトルビール。



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2016年01月05日

スペイン・グラナダのインド食材店India Bazar

ポルトガルからバスで国境を超えてスペイン・グラナダに到着。
スペインらしい街並み・建物の佇まいに感慨深いものを感じます。





宿泊先に荷を下ろし、裏道を登って散策してみると、偶然通りがかりにインド食材店India Bazarを発見。在グラナダ11年のグジャラート州スーラト出身のムスリム、モハメッド・サリームご夫妻によって経営されている店だった。





商品の主な仕入先はドイツのインド人業者から。ヨーロッパは食品検疫が厳しく、販売用のためには外装に内容表記する必要があるがインドからの輸入品は基準を満たしていなく直輸入が難しい。ヨーロッパでもイギリスよりもドイツからのものが表記がしっかりしているため、ドイツから輸入しているという。









客層は非常に少ないインド系出身者(南インド人の方が多いらしい。ITでなくキリスト教関係の仕事が多いらしい。実際にバルセロナでマザーテレサと同じサリーを着た女性を見かけた)の他に、地元スペイン人も飲食店がバスマティライスなどを買うこともあるという。そもそもインド系住民が少ない割には品揃えが豊富なのがやや不思議な印象。家賃は約160ユーロ。
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2016年01月04日

カシュカイシュのパンジャブ系レストラン

ヨーロッパ鉄道駅の最西端に位置するポルトガル・カシュカイシュへ。
ここは風光明媚なリゾート地で砂浜もありヨーロッパ各地からの観光客も多い。ただでさえ寒くはない冬のポルトガルにあってさらに生暖かい海風がそよぎ快適である。









この町にはタージマハル、マサラ、ガンディーパレス、インターナショナルという4軒のインド料理屋がありオーナーは全てパンジャーブ人である。スタッフもほぼパンジャーブ出身者で占められている。メニューは北インド料理以外にピザやパスタなどイタリア料理他の西洋料理を出している店も多い。ただしこうしたポルトガルにあるインド料理店でピザやパスタを出されると、日本にあるインネパ系店でピザやパスタを出されるのと何となく違う感じがしてくるから不思議なものである。胃に余裕があれば食べ比べをするのだが…












レストラン前で客の呼び込みをしていたパンジャブ青年。


パンジャブ人だからヒンディー語も普通に通じるのがいい。

この地には経営者・スタッフ総勢約30人ものパンジャーブ人が暮らしているらしい。逞しいものである。リスボンのYellow Lineオディヴェラス駅にはグルドワーラーがあるという。(ちなみに3つ手前のルミアール駅にはグジャラート系のクリシュナ寺院があるらしい)
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2016年01月03日

リスボンのバングラディシュ人コミュニティ

リスボン市内至る所にあるドネルケバブの店は経営者、従業員共々バングラディシュ人移民が多かった(中にはパンジャーブ人もいる)。ポルトガル人の店が元旦休みの多い中、こういう店は早朝から深夜まで営業していて人だかりが出来ている。ドネルケバブと言えばトルコやエジプトが本場だが、地理的に近いそれらの国々からの経営者・スタッフは少なく、バングラディシュ系が大きく幅を利かせている。ドネルケバブ産業はポルトガルに於けるバングラディシュ系移民の主要産業の一つと化しているように思える。

こうしたケバブ屋で情報収集していると、地下鉄Martim Moniz駅北側にはバングラディシュ人の多い一帯があるという情報を得た。翌日早速訪問してみると、バングラディシュ系食材店もあり、また一棟丸々バングラディシュ人が居住するアパートすらあり、バルコニーからはルンギーやランニングシャツや南アジア特有の男物パンツといった洗濯物がリスボンの海風にそよいでいる。





Rua Do Bemformosoという通りにはマスジドもあり周囲のバングラディシュ系がナマーズに訪れている。周囲にはもちろんバングラディシュ人経営のハラール食材店も多い。

その内の一軒Nitto Shaidaiに入店。品揃え的にはバスマティやスパイス類以外に、冷凍のルイやイリシなどを丸ごと販売している。















品揃えも日本のバングラディシュ系ハラール店などより豊富である。食材店の中にはバングラディシュ系の店なのにハラール食材以外に酒や野菜も売っている店もあり、ムスリム移民以外の地元民をも対象に商売をしている。従ってここうした店をハラール食材店と呼ぶ事は出来ない。地元ポルトガル人の八百屋などの外観が比較的大人しいのに対し、原色を多用して目立つように作られているのですぐ分かる。


バングラディシュ系ハラール店が集中する一角にはRUPOSHI BANGLAというバングラディシュレストランもあった。ルイなどの魚のカレーも食べられる。坂の多いリスボンで歩き疲れてグラーブジャムーンとチャイをオーダー。さすがベンガル店、菓子は全て自家製とのこと。リスボンで食べるグラーブジャムーンの味は格別なものがある。











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2016年01月02日

リスボンに於けるカバーブ屋

2016年の新年はポルトガルのリスボンで迎えた。
リスボンでは市内の広場で花火で新年を祝っていた。



石畳の道路、石造りのカテドラル、街路樹はオレンジがなっている。
テレビで見た古き良きヨーロッパの街並みがそこにはあった。



だがしかし。
個人的な習性はどうしてもそこではなく、南アジア系へと向かってしまうのはいかんともし難い。

リスボン到着時道案内などしてもらったカバーブの店が印象的だった。多くはバングラディシュ人オーナーの所有で、従業員もバングラ系やパンジャーブ人だった。他の飲食店舗が正月休みで閉店している中、そこだけ煌々と灯りがともされ、ともすればヨーロッパ的景観を損なうほどのハデ目な赤い看板が掲げられている。そして深夜まで花火などで盛り上がった地元の若者たちを中心に店には人だかりができていた。日本のようにコンビニも無いリスボンの街、そこ以外に食べる場所の選択肢がほとんど無いというのも理由なのだろう。


元旦の早朝、人だかりができているカバーブ屋店頭。



中にはケバブだけでなくなぜかみそ汁や焼うどんなどもメニューに取り入れている店もあり思わず話しかけてみた。「中国人が多いからメニュー化した」というが、日本人と中国人を混同しているが逞しくていい。また『なぜ正月から営業を?』と聞くと「地元の店が休みな今こそ稼ぎ時だから」という清々しい答え。





バングラディシュ人の経営だからと言って決してハラール料理屋という訳ではなくビールや地元名産のワインなども売っている。実際カバーブとビール、といった組み合わせで食べる人が多いし料理的にもその方が自然に感じる。

妙な和食もどきを売ったり、イスラム教徒なのに酒を売ったりするその姿にやましさなどは微塵も感じられない。イスラム教徒である以前に生活者であるというごく当たり前の姿がそこには垣間見える。
posted by asiahunter at 10:32| Comment(0) | ■世界のインド人街から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポルトガルのゴア料理店探訪

ポルトガルと言えばゴア料理である。
ポルトガルが1960年代までゴアを植民地支配していたためゴアの街中至るところにポルトガルの雰囲気を感じることが出来る、などとガイドブックには記載されているが、実際にポルトガルに行ってみない事には比較の仕様がない。そんな機会はないと思っていたが、今回ヨーロッパ訪問することとなりその機会が訪れた。2か月前にゴアを訪問した際はそのような計画は一切なかったので不思議なものである。

実際にリスボンの街中を歩いてみると、時代を感じさせる教会などの施設などはかなり似た雰囲気を感じさせる。では一体、料理はどうだろう?ビンダルーやシャクティやベビンカなどのゴア料理は実際にポルトガルに於けるゴア料理店ではどのように食されているのだろうか?というのが知りたい所だった。

ちなみに2015年10月に訪問したゴアの様子はこちらからご覧いただけます。

ゴア滞在記・市場散策編

ゴア滞在記・飲食店編

ネットでリスボンに於けるゴア料理店を検索するとさすがにたくさん出てくる。とは言え実際に訪れてみると正月休みで閉まっている店も中にはあった。ネットで調べたゴア料理店片っ端から電話し、短いリスボン滞在の間に2軒のゴア料理店に行くことが出来た。

まず1軒目。Sabores de GOAという老舗ゴア料理店で念願のポルトガルに於ける初・ゴア料理を堪能。食前酒によく冷えた赤のサングリアは1リットル 8ユーロ、Pork Balchao/ポークバーシャオ(グレービーは小海老で出汁を取っているという)10.5ユーロ、ポークビンダルー10.5ユーロ。ゴアで食べたポークビンダルーは酸味や辛味がかなり強く感じられたが、この店のそれはマイルドな印象。サングリアの攪拌棒が長いシナモンだったのが雰囲気があっていい。デザートのベビンカはネットリとした甘さ。

スタッフの一人は父親がゴア出身だが彼はモザンビーク生まれで、ポルトガルには70年代初頭に来たという。従ってコンカニ語は分かるがヒンディー語は分からないという。実はリスボン街中で何人か道を聞いたりしたゴア出身者とも話をしたが、ヒンディー語の通じないゴア出身者が結構多いようである。











ちなみにこの宿泊先からゴア料理店に向かう道すがら、ヤク&イエティ、アンナプルナ、ブッダという3軒のネパールレストランを通過した。メニューを確認するとナン・カレーのインド料理主体のインネパ店のようである。














ポルトガルでのゴア料理2軒目はディナータイムにDelicious de GOAというレストランへ。
まず店の内外装が素晴らしい。オーナー発案の絵やゴア風装飾であふれている。白と水色で統一感のある店内。オーナーのロドリゲス氏の経歴が凄い。ゴア生まれで母に伴われてモザンビークに行き、その後ブラジルへ。その後ポルトガルに渡り8年前から同店を経歴している。料理を作るスタッフには自分の息子も使っている。













ヴィンダルーを作るためのカシミール・チリなどのスパイス類はリスボン市内に取り扱い業者がいて700gで12ユーロほどらしい。そうした業者もインドから輸入している食材もあればイギリスから輸入しているものもある。

オーダーしたのはポーク・ヴィンダルー、魚のスパイス詰め。この魚の名前を聞いたら「ドラガ」と教えてもらった。デザートにベビンカ。どの料理もオーナーの真面目な人柄が反映されている味わいで美味しかった。







それにしてもモザンビークも旧ポルトガル領だとは知らなかった。ゴア出身者でモザンビーク在住者も多いらしいし、モザンビークにもゴア料理店が多いのかも知れず、一度行ってみたくなった。





posted by asiahunter at 10:26| Comment(0) | ■世界のインド人街から | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月01日

リスボンのネパール人食材店

翌ポルトガル行の出発日。イスタンブールに降り続く初雪は初めの内は物珍しさもあったものの、次第に積もりはじめ、明け方少し心配になってホテルの窓から覗くと10数cmほどにもなっていた。東京であれば完全に交通マヒするレベルの量。前日に空港行バスは予約していたが、はたして運行するのか、仮にしない場合はどう空港に行けばいいのかまんじりともせず明け方を迎えることとなった。



道路状況が心配でもあり、空港へはバスで行くのをやめメトロ(地下鉄)で行くこととした。街中は吹雪の様相を呈しており、メトロの駅にたどり着くまで横殴りの大雪が降り注ぎ目も開けられないほど。そんな状況の中メトロの駅を間違え一駅先の駅にたどり着く始末。スーツケースを抱え大げさに言えば遭難を意識した。しかも途中の乗り換えで逆方向の車両に乗り込んでしまう始末。出発時刻に間に合うのだろうか…

イスタンブール空港にたどり着くと数時間遅延の案内が。このため空港内は大混雑していた。





ちょうど同じ便の搭乗ゲートにネパール人らしき家族連れが数人いた。思わず話しかけるとポルトガルで働いているコックさんだった。彼らからポルトガルに於けるネパール人事情や彼らがポルトガルに滞在するに至った興味深い話し(ポルトガルは他のユーロ圏に比べ労働許可証の取得が簡単、そこで数年働くことによってキャリアを積み他のより賃金の高いユーロ圏へと向かうというルートなど)、ポルトガルに於けるネパール人コミュニティや寺院など飛行機の遅延もそうした情報収集の有意義な時間となった。

ポルトガル・リスボン行フライトは3時間ほど遅れたのちイスタンブールを離陸。
やがて夕闇迫る美しいリスボンの街が近づいてきた。



リスボン着後、右も左もわからないのでケバブ屋に道を聞くとリスボンのケバブ屋はほとんどバングラディシュ人が働いている。彼らはヒンディー語も出来るので道を聞いたり安ホテルの場所を聞いたりして大変助かった。



同じ飛行機だったネパール人から聞いていた通り、リスボンはネパール人が少なくないらしい。宿に荷物を置いて早速外出した所、比較的街の中心部近くにNamaste Nepalというネパール食材店を見かけた。



店はバグルン出身タラさんというオーナーが経営していてチウラやギーなどのネパール食材がネパールや一部はイギリスから輸入されて陳列されている。このオーナーの奥さんの一族もまたリスボン市内でネパール食材店とレストランもやっており、ダルバートやスクティも食べられるとの事。家内の付き添いでやってきたリスボンだが、こうした充実したネパール人社会が存在するのならばかなり楽しみになってきた。


オーナーさん一家





















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