2011年05月12日

東日本大震災に関して

先日、気仙沼市でネパール・インド料理店をやっていたというネパール人Tさん夫婦が一時的に都内で生活するにあたり、荷物の移動その他の手伝いをさせてもらった。都内で飲食店を経営する長年の知人・ネパール人Tさんから頼まれで、気仙沼の彼らは同郷・同族の友人とのことである。

彼らの気仙沼の店は津波により壊滅し、長らく地元の学校の体育館に避難していたという。今まで被災地の状況などテレビや新聞からの情報しかなかったが、当事者の生々しい話しを聞いて改めて慄然とさせられた。地震後、あたかも戦争の空襲警報のような津波警報が流れ、店内で仕事中だった彼らはとるものもとりあえず丘の方に逃げたという。その後数分で店は津波に飲まれた。持って出たのはパスポートぐらいで、携帯電話すら水に流されたという。ただ彼らは日本語が理解出来るのでとっさに逃げ延び、その後も避難所生活を続けられたが、彼らによると東北各地にはネパール人含め多くの外国人も点在しているそうなので、言葉に不自由な人たちはさぞや大変だろう。ただいくら日本語が出来ても避難所での共同生活などストレスなど大変だろうし、わが身に置き換えると想像を絶する。

発生直後のTVニュースで、気仙沼で英語を教えている若いアメリカ人女性が行方不明という悲しい報道があったが、その女性は地震数日前に彼らの店に食べに来ていたという。津波が引いた後の現場は瓦礫が一面を覆い、さらに打ち上げられた魚介類があちこちで腐乱し、同じくあちこちに撒き散らかされている油の異臭と相まって強烈な臭いを発している…などなど急死に一生ものの貴重な体験談を聞く事が出来た。それにしても命こそ助かったとは言え、家財道具から商売道具などをコツコツ積み上げてきたものを異国の地で全て失うという心痛はいかばかりのものだろう。

このゴールデンウイーク近辺で、身近なところではインドジン・ドットコムのS社長以下、日本人インド人からなる有志十数名の人たちが福島のいわき市まで炊き出しに行った。このとき微力ながら私アジアハンターも炊き出し用設備の手配などでお手伝いしました。福島から戻ってきた社長がボランティアは初めてだったが炊き出しを受け入れてもらってありがたかった、やってよかった、と興奮気味に語っていて、それを聞いていてこちらもとても感動した。また『ナマステボリウッド』主宰のすぎたカズトさんは何度も被災地に足を運んで活動している。その内容はナマステボリウッド・サイトの詳細レポートで読む事が出来ます。身近に居るこうした人々を見て本当に頭が下がります。
posted by asiahunter at 20:29| Comment(0) | ■その他雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする