2009年06月23日

プラナカンの世界-プーケット

次の目的地プーケットでも大変印象的なプラナカン的デザインを街中の至る所で見ることが出来た。プーケットはタイを代表する観光地だが、観光客の大半は海が目当てで、プーケット・タウンと呼ばれる街中に関心のある人は少ないようで、街中を散策中ほとんど外人の姿は見なかった。
元来プーケットは英領時代に錫鉱山開発で栄えた街でもあり、毎日どこかで開発工事が行われているような変化の激しいシンガポールのような所から来るとプーケット・タウンは静かで落ち着いており、ノスタルジーを感じさせる場所である。


街中で見かけた、丁寧に手入れされたオート三輪。

ガイドブックなどには、タラン・ロード(Thalang Rd)やラサダ・ロード(Rasada Rd)は一応、プーケット・タウンのメインストリートとして紹介されているが、強烈な昼の日差しを避けて朝、散策すると美しいタイルで外壁を装飾した味のある民家・商店を堪能することが出来る。





 


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2009年06月16日

プラナカンの世界-シンガポールvol.2

今回の目的地はシンガポール・マレーシア・タイという東南アジア観光の王道コースで、1991年の初東南アジア旅行で幻惑されて以降、数え切れないほど訪れている。が、今回旅行前にプラナカン文化に関する本『マレー半島 美しきプラナカンの世界』などの影響で、それまで全く関心の無かった対象が非常に面白く思えるようになった。例えばプラナカン的な建築様式は街中の至るところで目にすることが出来、庶民の商家のように見えながらも、実際よく見てみると細かく丁寧なレリーフが施されていたり、濃厚なデザインのタイルがあしらわれていたりとしばらく足を止めて観察したくなる。しかも家々は一つとして同じものが無く、個性的で味のある商家(ショップハウス)が数限りなく存在するので、今まで素通りしてきた道もそういう眼で接すると大変に味わい深いものへと変貌する。

さて、こうしてプラナカン文化に興味を持った私はシンガポールにあるプラナカン博物館へと足を進めた。こうした食器など重要な展示物を多く展示している文化的施設が入場無料というのはすばらしい事である。



さて、ここで驚いたのはそれまでの情報で私はプラナカンとはてっきり東南アジア化した富裕な中国系と認識していたが、インド系プラナカン(Indian Peranakan)という人々も存在するということである。彼らは現地一般的にはChitty Melakaとも称され、その出自は南インド・タミルナードゥの商人であると記録されている。多くは15世紀頃にインドからマラッカに渡って来た人々で、今でもマラッカはじめマレーシア全土には私設の両替商・金融業者が大小様々な店舗を並べていて、彼らの多くはこうした業種に進出している。Chitty Melakaの徹底した吝嗇ぶりは金子光晴の旅行記『マレー蘭属紀行』にも記述がある(文中では「チッテ」と書かれている)。

15世紀頃のマラッカは文化的・経済的水準が高く、現地化した多くが中国系だったが、中にはこうしてインドから来てプラナカン化する人も少なくなく、またインド以外にもスリランカ、タイ、ジャワなどからもプラナカン化する人が居たという。こうした人々はマイノリティーであるためか特定の博物館などは存在しないが、東南アジアの重層的な交流を改めて感じさせる。
↓はインド系プラナカンについて記されたサイト。
http://www.asiafinest.com/forum/lofiversion/index.php/t56351.html

 
 
プラナカン博物館内部に陳列されている生活民具など
 
 

帰りしな、ふとロビーを見ると中国音楽の演奏会が行われていた。
非常に難度の高そうな曲目が多かったが、聴衆たちは演奏者の間をくぐり抜けたり私語を慎まなかったりしてここがアジアである事を再確認した。演奏者もこうした聴衆たちに臆することなく堂々と自身の演奏に没入する所などすばらしい雰囲気である。


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2009年06月11日

プラナカンの世界-シンガポールvol.1

今回東南アジアに行くにあたり、ガイドブック以外にも複数冊、東南アジア本を読んだ中で最も印象深かったのが『マレー半島 美しきプラナカンの世界』だった。この本は主にシンガ・マレーなどに居住するプラナカンと呼ばれる人々の歴史・建築・食・雑貨などを豊富で可愛いい写真で紹介したもの。個人的には今まで何度もシンガ・マレーなどを訪れているのに、インド系住民の方にばかり関心があったので、プラナカンと称される人々の存在を全く知らなかった。目的が違うと旅の渦中に居ても何も気が付かないものなのだろうか。今回このような経緯で、シンガ・マレーなどにはインド系以外にもこのような豊かで奥深い文化が存在する事を知った事は収穫だった。


同書によると「プラナカン」とは戦後に出来た言葉である。戦前までは彼らは「ストレート」と呼称していた。同書中のプラナカンの定義では「15世紀頃より中国(主に南部の福建省)からビジネスチャンスを求めてマレー半島にやってきた人たちの子孫を指す。彼らの多くはマレー人やバダック人など現地女性と所帯を持ち、独自の文化を持った」という。のちに英植民地時代、彼らは錫鉱山開発や貿易などで巨万の富を得、子息を英国留学させエリート化させた。
一方、こうした経済発展に刺激されて19世紀頃に中国移民が大量に渡来した。こうした19世紀頃に新規に渡来してきた中国系と自らを区別するべく(新規渡来の中国移民を暗に「非ストレート」であると捉え)対して自らを「ストレート」であるとした。
言われてみればシンガポールに居ると「ストレート」という言葉を聞く機会が多い。例えば同国一の発行部数を誇る日刊紙「ストレート・タイムス」など。
また、こうしたストレート=プラナカンたちの中からリー・クアン・ユーといったシンガホール国家建設のリーダーたちが排出され、更には多くの官僚/エリート学校であるシンガポール大学の幹部などの主流を占め、更なるエリートを生産し続けている。このようにプラナカンの人々は文化的側面以外にも現代シンガポールという国の中で全ての分野に於いて非常に重要なポジションを占めている。
尚、こうしたストレート系シンガポールの成立ち・現代史は『シンガポールの奇跡』田中恭子著の中で興味深く描かれている。

さて、『マレー半島 美しきプラナカンの世界』にも記載されている通り、リトルインディア付近も開発著しいシンガポールの中にあっては比較的古い、あるいは停滞した街並みが残されており、ゆっくりと歩けば街のそこここにプラナカン的建築や装飾を発見することが出来る。特にショップハウスなどに原色の花をあしらったタイルによる外壁装飾、窓周りなどのデコレーションなどに独特の味が感じられる。


 



  
  
 
こうしたショップハウスの中には浮き彫りで建築年を記載したものがあり、多くは今世紀初頭などのものである。そうした古い建物が何度もペンキで塗装され直しながら残っている。残存している古い建物のどれもが熱帯という過酷な環境にもかかわらず良好な状態であり、メインテナンス技術の高さを伺わせる。


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2009年06月02日

ネパールレストランLAMA

ここ最近、新宿歌舞伎町〜大久保にかけてのエリアを車で通るたびに気になっていたレストランがあった。看板にデカデカと『ネパール料理 LAMA』と掲げてある。



ここは以前グレートインディアというバングラディシュ系のレストランがあった所だが…。経営者もコックさんもネパール人でありながら看板に『インド料理』とするレストランが多い事に前々からネパール・ナショナリスティックな義憤のようなものを常々感じていた。ネパール人が出す料理なのだから堂々と『ネパール料理』となぜしないのか。『ネパール料理』は美味しいのに…と。
ここは長年のそんな私の義憤に対する正解のように看板に大きく『ネパール料理』の文字が浮かび上がっている。通るたびにどんな気骨のあるネパール人が経営しているのだろうと非常に気になっていた店だった。

それとは別件で、ごく最近仕事で知人のネパール人ラマ氏と数年ぶりに再会した。かれは元々コックで数年前に会った時は大井町にある『Shiva』という当時出来たばかりの店で働く事になったいた。その前は数年間マハラジャ系列店でコックを務めていたというベテランのコックである。話しの流れて「最近、気になっている店があって…」と切り出すと、彼がそこのオーナーだという。なんだ知人の店ならば…と本日早速訪れてきた。


ムリ・コ・アチャール(大根のアチャール) 350円
インドのアチャールは大量の油と唐辛子に漬かった漬物だが、ネパールは至ってシンプルかつさっぱりしていて、日本の漬物にも共通する部分がある。



マトン・チェーラー 700円
本当はスクティ(マトンの干し肉炒め)が食べたかったが、品切れだそうで代わりにチェーラーを注文。濃厚でガーリックが香ばしい。ちなみにこの店の壁に串に刺さったマトンが干されていてマトンの干し肉も手作りしている様子がよく伺える。



アルゴビ 650円
ネパールではダルバートに欠かせないタルカリ(おかず)。ネパールを旅した時によく食べた事を思い出させる味。ダニヤー(香草)もいい味出している。



モモ 600円
ネパール料理の代名詞的存在。厚い皮を噛み締めると中からジュワっとしみ出るマトンの肉汁が堪らない。個人的には餃子よりモモの方がはるかに好みである。



ダルバート(下) 950円 バターチキンとナーンのセット(上) 1,050円
ここのダルバートは美味い。↑の皿の直径は約30cm。そのタール盆にこのご飯の量。カラヒ皿に入ったダール上部には薄くギーがかかっている。焼いた鳥が4片とほうれん草とジャガイモの炒め物がタルカリとなっている。バターチキンもクリーミーで濃厚。この辺は長年インド系レストランチェーン店で勤務してきた腕前が遺憾なく発揮されている。
尚、ここで掲載されているタール盆やカラヒなどのインド・ネパールの食器類はこちらのページで購入出来ます


シメはチャイ(ネパール式の発音だとチヤ) 

知人だからではなく、客観的に見てもこの店の味レベルは高い。同じ通りのならびにシディークとグレートインディアが眼と鼻の先にあるので若干、やりにくそうだが気さくな夫婦が温かく経営しているので是非立ち寄って欲しい。味的には隣の2店舗など比較不能である。
住所:東京都新宿区百人町1-12-1


気さくなラマ夫妻が経営。ちなみにネパール人でラマ姓の人はチベット仏教徒である。
彼らはこの2月にここをグレートインディアから居抜きで買取り経営をスタート。その前も2年間ぐらい色んな物件を見て回ったという。ただカレーや焼肉などオーナーが敬遠する場合も多く、また外国人であるというハンディキャップもありなかなか意中の物件に近づけなかったという。隣には2店のインドレストランがあり、差別化の意味もあり、かつまた自身のネパール人であることのアイデンティティとネパール料理も提供する事から「ネパール料理」を看板にアピールした。ただし隣のシディークはパキスタン経営者、その隣のグレートインディアはバングラディシュ経営者でありインド料理とは謳いながらその実全てインドではないという、インド料理の懐深さを改めて実感する。

それにしてもここ数年ネパール人経営の飲食店が目立つ。ラマ氏によると、最近日本語学校などの入学目的で来日するネパール人学生が増えた。地元ネパールには日本人が経営する日本語学校なども存在すると言う。そうした彼ら学生が、卒業などで学生ヴィザが切れるにあたり、もちろん営利目的とさしあたりの滞在延長などの目的もあり飲食店を開業する傾向が増えている。その際は地元の一流どころのレストランからコックを引き抜いたりする事はまれで、せいぜい中堅どころの店のコックを正式にヴィザ申請して連れてくるのは良心的な方で、中には別の飲食店が保証人となって取得したヴィザの滞在期間中にもかかわらず他店から引き抜いたり、全く調理経験の無い人間をコックとして連れてくる事もあるという。

posted by asiahunter at 01:16| Comment(0) | ■在日ネパール系 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする