2006年08月28日

ガネーシャ・チャトゥルティー vol.1

今年06年8月27日は『ガネーシャ・チャトゥルティー』と呼ばれる、富と学問の神ガネーシャの祭りが開始され、地方差や執り行なう家族・社会での差によってまちまちだが基本的には第14日までの10日間、つまり西暦上は06年9月5日まで続く(この最終日にビーショルジョンと呼ばれる神像の河流し儀礼をもって終了する)。

ガネーシャは現世利益的な性格を持つことから全インド的に支持され、祭りも各地で行われるが、その信仰の中心地であるマハーラーシュトラ州、特にプーナで盛ん。元来のガネーシャ信仰はおそらくこの地方で熱心だった象信仰、動物崇拝のヒンドゥー化(シヴァの息子として吸収合併)である。
『ガネーシャ・チャトゥルティー』の「チャトルティー」とは、黒分・白分を問わずヒンドゥー歴の第4日を意味する。ヒンドゥー暦では それぞれの日を特定の神に同定させていて、各月第4日をガネーシャの日としてい る。従って各月第4日は敬虔なヒンドゥー教徒であればガネーシャのプージャ(儀礼 )をする日となっている。ヒンドゥー暦の各月は満月始まりの黒分と新月始まりの白 分というそれぞれおよそ15日づつに分かれている。インド占星術によって各日はそ れぞれその性格を特徴づけられているが、うち黒分第4日は「災いの第4日」とも呼 ばれ、何かをはじめるにはふさわしくない不吉な日だとされている。



富の繁栄や学問を司ったりと、いくつもの役割を持つガネーシャの霊験のうちの一つに、『障害を取り除く力』がある。つまり厄除けの力があるということである。(ガネーシャの別名はヴィナーヤクといい、「障害を取り除くもの」という意味である)儀礼の場合、他の神を拝む前にまずガネーシャを拝む。これはマハーラーシュトラ州に限ったことではなく、広く全インドに渡って言えることである。また仕事、学問から芸事に至るまで、とにかく一番はじめに拝まれるのがガネーシャなのである。映画の中にも、ストーリーがはじまる前、一番初めにガネーシャ像の映像が流れるものもある。これもまたその伝統を踏襲しているのである。
尚、ヒンディー語のことわざに「シュリ・ガネーシャ・カルナー」というものがある。「聖ガネーシャする」といった意味で、その心は「何かをはじめる」ということである。ガネーシャを拝めばマイナス要因が払拭される。そのことが、黒分第4日、すなわち「災いの第4日」をガネーシャを祭る日に定めてとりわけ重視している所以である。
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2006年08月04日

カルカッタ(コルカタ)の人力車

今回カルカッタ滞在したので久しぶりに人力車を味わうことが出来た。
特に訪れた時期が雨季であったため、水はけの悪い街の至る所冠水しており、こうした箇所では人力車は必須の交通手段である事が再認識させられた。


■カルカッタの人力車概略 
イギリスによるインド統治(British Raj)以降、インドの主要各都市に広まったリキシャーは、おそらく現在インド全域で見られる自転車(サイカル)リキシャーではなく、そのよりプリミティブなスタイルの『手で引く式』、つまり人力車タイプであったであろう事は容易に想像がつく。 日本が発祥の地といわれ、今尚鎌倉などの観光地で観光客向けに営業してはいるものの、生活の足として人力車が未だ健在である街はインドは元より世界広しといえど、私の知る限りに於いておそらくカルカッタ(=現コルカタ)が唯一無二だと思われる。

但しそのカルカッタといえども、1999年以降人力車の新規台数登録を停止するに至った。その理由は交通渋滞の解消である。カルカッタ市は着工から20有余年かけてインド初で今の所唯一のメトロ(地下鉄)を全線開通させたが、それも渋滞解消が主目的の一つだったと言われている。しかし市内を歩く限り、手押し車や牛車なども依然健在であり、人力車の撤廃が即座に渋滞解消に繋がる事に関しては首を傾げざるを得ない。

■カルカッタの人力車---資本の流れ
カルカッタに於ける人力車業界の資本の流れは、おおまかに以下の図で表すことが出来る。

@中間管理オーナーから本来のオーナーへ:表に出てこないので一体どんな人物が本オーナーなのか定かではないが、政府・警察関係者などの資本家・権力者(ブルジョアジー)である事は確かである。ちなみにカルカッタのあるウエスト・ベンガル州政権はマルクス主義を標榜するインド共産党(CPIM)の長期政権支配地である。

Aリキシャー・ワーラーから中間管理オーナーへ:例えば人力車が通行止め・一通の逆走や、その他賄賂といった『警察に払う』みかじめ料、州政府に払う税金、車検代などは全て中間管理オーナーによって支払われるらしい。従って、表面的な取り分としては本来のオーナーよりも中間オーナーの方が多額だが、手取りでは微々たるものらしい。

Bリキシャー・ワーラーから警察へ:場所にもよるが、例えば有名な安宿街であるサダル・ストリートやツナガチ(ソーナガチ)といった売春エリアに人力車を常駐させる場合、管轄する警察にショバ代として一日約20Rs支払わなければならない。

C客からリキシャー・ワーラーへ:日銭にして1日約50〜150Rs懐に入る。この内中間管理オーナーに対して1日約20Rs支払われる。上の通り、場所によっては警察にもショバ代が支払われる。 また季節にも大きく左右される。映画『City of Joy』にもあったが、雨季の道路が水浸し(カルカッタの水はけは極端に悪い)になった時が一番の稼ぎ時。また外国人観光客をゲスト・ハウスに、男性客を売春屋に連れて行った時にもらうバックマージンも重要な収入源である。

■中間管理オーナー(雇われオーナー)
実質的に人力車を所有している本オーナー(本来のオーナー)の本職は、例えば政府・警察関係者などが主である。そうした本オーナーが現場に現れることはまず無く、代わって実際に人力車やリキシャー・ワーラーの管理代行をしている人間を仲介させている。つまり本オーナーとリキシャー・ワーラーの間に中間管理オーナー(雇われオーナー)が介在するのである。 カースト職業観の根強いインドでは、こうした雇われオーナー職も世襲であるケースが殆どである。私が訪ねた某修理工場に居た若オーナーも祖父の代から雇われオーナーで、約70年に渡って代々雇われオーナー職を受け継いできたそうだ。 経験の浅い若オーナーは、どうやら古顔のリキシャー・ワーラーに頭が上がらないらしく、雑談中も何人かのリキシャー・ワーラーから鋭いツッコミを入れられてタジタジだった。こうした風景は日本の建築現場に於ける若い現場監督とベテランの大工の関係を想起させ、微笑ましい一コマである。 尚、彼ら雇われオーナーと本オーナーとは仕事上の関係以外、一切無関係ということだ。 ちなみに、かつて(50〜60年代/雇われオーナーの祖父・父の代)は景気がよかったが、次第に実入りも悪くなり、とりわけ90年代以降景気は悪くなる一方だという。自転車リキシャーも市内中心部では見かけず、他に競合相手も存在しないように思えるが、市内細部までバス(カルカッタのバスは小さい)路線が行き渡っている所為だろうか?


■諸手続き/諸経費
車検は年に一度、必ず受けなければならない。車検に通ったかどうかは座席後部に付いてあるプレートの番号をチェックすることで判明する。車検に通った人力車は新しい番号に書き換えられるからである。 この車検にかかる費用が1700〜1800Rs。 また、3月〜9月の間及び9月〜3月の間、年2回、それぞれ25Rsづつ、合計50Rsの車両税をウエスト・ベンガル州政府に支払わなくてはならない。ウエスト・ベンガル州政府とは市内中央部に位置するBBDバーグにあるHackney Carriage Department(警察管轄)である。人力車所有の許可証もここが発行している。 参考:カルカッタ市の交通警察連絡先一覧 こうした諸費用は大半が雇われオーナーから支払われるそうである。 雇われオーナーの話しによると、人力車の製造代金は5000Rs(約15000円)、製作に要する時間は2日である。彼の元を訪ねたとあるアメリカ人が一台購入し、国に持って帰ったそうである。 尚、上に書いた通り、ウエスト・ベンガル州政府は1999年以降人力車の新規台数登録を停止しているものの、既得の許可証の効力は生きている。従って許可証を持っていれば永続的に人力車を所有することも出来るし、また新規生産をすることも可能である。このため許可証は裏では高値で売買されているという。 また、現在も約6000台の人力車がカルカッタ市内で営業中だという。つまり6000枚の許可証が存在する、ということである。

■レート
実際、カルカッタ市内、特に定宿としているサダル・ストリート周辺は非常に交通の便が良く、実際に人力車に乗ってどこから出かけた、という経験もそれ程多くはありません。またタクシーやオート・リキシャーと違い基本的に交渉によってレートを決めるため、正確に幾らということは出来ません。また上述の通りシーズン差もあります。 一つの例として、ある秋晴れの日、サダルからインディアン・エアーの事務所に行ったことがあります。そこで支払った金額も定かではありませんが、20Rs前後だったのではないでしょうか。それ以上であればタクシーの方が安いからです。 市内移動はバス・タクシーが幅を利かせていますが、それでもそれら車両が入って行けない小道や路地、或いは雨季の増水した街中を疾走しようと思えば人力車に頼らざるを得ません。 薄暗く、水増しした裏路地に人の歩くスピードと程好いバイブレーションでいざなわれる時のと高ぶる興奮と若干の不安は、正にカルカッタ観光の醍醐味と言っても過言ではありません。

※今回撮影した人力車上の動画


posted by asiahunter at 13:28| Comment(3) | ■インド文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月03日

ラタ・ジャットラ

今回のインド滞在中の大きな祭りとして、ちょうどオリッサ州プリー(ジャガンナータ・プリー)で、ヒンドゥー暦(ヴィクラマーディティヤ暦)アーシャーダ月白2日に行われるラタ・ジャットラと重なる事が判った。しかし諸々の事情・仕事により、プリーとは目と鼻の先であるブバネーシュワルに当日居ながらも、祭りの様子はテレビと翌日の新聞でしか見ることが出来なかった。ブバネーシュワルに於いても祭りの雰囲気は多少なりとも味わえるものかと思っていたが、そうした事は全く無く、やはり祭りの中心地に赴く必然性を感じた。そのラタ・ジャットラとは以下のような祭りである。…

通常、ジャガンナート寺院に祀られているジャガンナート神・妹のスバドラー女神・弟のバラバドラという三体の本尊が雨期始めのこの時期、ラタ(山車)に乗せられ寺院より3km離れたグンディーチャー寺院までジャットラ(=ヒンディー語では『ヤットラ=旅・巡幸』を意味する)する祭り。基本的には雨季の到来を祝う祭りである。
オリッサ州で最も強く崇拝されているジャガンナート神の祭りであるため、巡幸当日には非常に多くの信者・巡礼が溢れる。祭りの2〜3ヶ月前にプリーの街を訪れると寺院前の大通りで多くの職人たちが巨大な山車の準備・修繕などしている風景を見る事が出来る。祭りが近づいている事を感じさせる一時である。中世、バクティ思想が流行した時代にはこの山車の車輪の下敷きになって死ぬことが解脱への早道であると考えられた事もあるという。

ジャガンナート神はオリッサ州で最も強く崇拝されている神格の一つ。
元来は同地方の土着信仰である木柱神信仰がヒンドゥー教に吸収〜展開される過程に於いて現在の形になったと考えられている。現在でもオリッサ〜ベンガルといった東インド諸地域では元来の部族文化という基層がヒンドゥー文化を凌駕する形で見られる場合があり、ジャガンナート信仰もその一つである。
現在でもオリッサ州に居住するコンド族の間では血の犠牲を求める豊穣の女神の依代として柱を崇拝・信仰している。ジャガンナート神も元来はこのような木柱神と考えられており、グプタ朝(紀元4〜5世紀)あたりにこの地に入り込んできたヴィシュヌ信仰の影響・支配により、ヴィシュヌのアヴァターラ(権化)の一つであるナラシンハと同一視されるようになった。尚、ヴィシュヌ系信仰はシヴァ系・タントラ(女神系)と異なりヴィシュヌを単独で崇拝する形ではなく、多くはラクシュミーといった女神を伴った形で崇拝される。従ってこのナラシンハと同一視されるようになったグプタ朝期は、現在のジャガンナートはナラシンハとラクシュミーという夫婦の形で信仰されていたと想像されている。



紀元10世紀頃、当時全インド的に影響を強めていたタントラ系思想の影響を受け、ナラシンハとして信仰されていたこの神格はヴィシュヌ系神格の中でもタントラ的・官能的性格を持つプルショーッタマという神格として信仰されるようになる。同地でのプルショーッタマ・ラクシュミー信仰はガンガ朝創始者であるチョーダガンガ王の帰依を得、現在のジャガンナート寺院となる寺院が建立されている。
ガンガ朝のアナンガビーマデーヴァ三世の時代(1211年〜1238年)に、第三の神格・バラバドラが付け加えられ、またプルショーッタマ神がジャガンナータ・クリシュナと同一視されるようになった。これは南インドのヴィシュヌ派の思想的影響(バクティ?)によるものであり、現在もその見方は変わっていない。つまり通常他の北インド諸地域でみられるいくつかのクリシュナ神像と著しく外見を異にしている理由は、そのようなバックグラウンドがあったためである。
アナンガビーマデーヴァ三世は自らを「ジャガンナートの代理人」という位置づけをし、後代の支配者たちも「ジャガンナートの代理人」という立場を王権維持のイデオロギー・呪的権威の源泉として継承していった。現在もプリー王の末裔は存在し、政治的権力こそ無いものの当地に一定の象徴的権力を持っているが、これも長年にわたる「ジャガンナートの代理人」といった王に備わるとされる呪的役割に依るものである。


↑今回のインド滞在中、バナーラスの街辻に顕れたジャガンナート神の祠。

posted by asiahunter at 18:31| Comment(1) | ■インド文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする